本来なら、今日は大学の卒業式でした。
どうせ入学式同様、親は会場には入れず、別棟で式の模様をスクリーンを通してみるだけだったはずではありますが。
コロナ、コロナ、コロナで、世界中がこの言葉に支配されている今のこの状況下。
一生に一度の卒業式は中止になりました。
無念です・・
私自身、行きたかった~!という寂しい気持ちでいっぱいです。
式が中止となった息子は今日、ゼミやサークルの友達と大学で記念写真を撮るということで、スーツを着て出かけて行きました。
自粛じゃないの~?と目くじらを立てている方へ。
コロナについては個人的にそれなりに勉強をしてみました。
我が家はそれほど気にしていない不届きものです。
先月、式典中止のお知らせを見た息子は、相当なショックを受けていました。
それを見た私も心がどんよりしました。
息子の卒業式って今まで何度かあったけれど、大学生のそれは特別。
学生でいられた最後の卒業式であると同時に、守られてきた場所から大人として旅立つことを祝う大事な門出でもあります。
人生における大きな区切りをかみしめることができるこの儀式を経験できないというのは、本当に残念としか言いようがありません。
息子は附属高校からの進学であり、この大学名との付き合いは7年間になります。
当初は第一希望の高校ではなかったのですが、通学時間を考えてぎりぎり通えるこの学校に進学となりました。
高校も大学も通学時間は2時間弱。
息子、よくがんばりました。
高校は自宅通学はやむを得なかったですが、大学進学時には自宅外通学を息子が主張。
息子は都内でのひとり暮らしを希望しました。
何度か親子で協議。
親の主張としては-
ひとり暮らしをすれば自分の生活費の負担も多少してもらうことになり、生活費捻出のためにバイトでかなり拘束されることになる。
自宅通学なら、バイトや家事やお財布事情に縛られることなく暮らせるじゃないか。
子の主張は-
帰宅時間を気にせずに友達と居られる。
あらゆる面で、親の目を気にしないで過ごせる。
しかしながら、当時の我が家は、夫婦間や仕事での問題が山積みで、精神的にも金銭的にもそれを許せる状況ではありませんでした。
加えて高校での2時間通学の実績もあり、大学でもできるはずだろうと、最終的に息子の主張を退けました。
家が遠いというのは、それだけ人付き合いも制限がかかり、息子は常にそれをぶつけてきました。
何度か息子とは言い合いになり、彼の気持ちもわかるので、そのたびに申し訳ない気持ちにもなりました。
折衷案として、遅くまで遊びたいときや大事な試験のときは、カプセルホテルなどに泊まることを提案したりもしました。
費用の負担はもちろん親で、月に2度ほどそうすることで、息子のほうも納得していったようです。
そして2年生以降になると、息子のほうも自宅通学のほうが楽だったかもしれないと言うようになりました。
今朝彼に、
「7年間頑張って通ったね。やっぱり都内で暮らしたかっただろうけどね。」
と話しかけてみたら、
「う~ん、それはわからないな」
と返ってきました。
「答えられないというのが答えだね」と2人で話しました。
親が申し訳なく思ってこだわってきた長い時間の通学も、彼のなかではどうでもいいことに今となっては片付けられていたようです。
幻の卒業式の朝、スーツを着て大学の購買で買ったネクタイを締めた息子を見て、私自身の胸のつかえもすっと取れた気がしました。
日本人なら誰でも知っているこの大学が、息子も私も娘も大好きです。
特に私は、この大学である息子を誇りに思ってきました。
息子のほうは、高校入学当時はそれほどでなかったようですが、今は本当にこの学校での学びや経験、交流を誇りに感じているようです。
大学に通うことの価値を、彼はしっかりと見出してくれた気がします。
これからはもうその大学名が、自分を表すものではなくなります。
慣れ親しんだ肩書だったけど。
大学生という、人生の中で子どもと大人の狭間で過ごせた特別な時間が終わりました。
息子、これからは不器用だからきっとぶつかりながら、俊敏な人よりも少し遅れていろいろなものに気づいていくだろうけれど。
人生は長いよ。
スピード社会の中、追いついていけないことに戸惑うかもしれないけれど、確実に習得できる力は持っているから大丈夫。
敵は多くてもいい。仕方ない。
味方を失わない人であれば。
息子、卒業おめでとう!