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大学生のオンライン授業

大学生の子をもつ親なら、この話題には多かれ少なかれ物申したい気分になるのではないでしょうか。

オンライン授業歓迎の親子もいれば、ふざけるなと憤っている、もしくは落ち込んでいる親子もいます。

 

以前にも書きましたが、我が家の3年生の娘はこれを歓迎しています。

理由は、何と言っても2時間弱という長い通学時間が省かれること。

まあ、娘の場合は通学時間が仮に30分短縮されたところで、やはりオンライン授業を望むでしょうけど。

インドア派だし、大学に友達は少ないし、部活動やサークルにも現在は所属していない。

授業を受け、ちょっとした仲間とランチをして、授業が終わればバイトをするか家に帰る。

こんな、なにかワクワクがあるわけではない大学生活を送っていた娘です。

家で授業を受け、近くのショップでバイトをし、夜はゲームをして過ごすという毎日を理想とするのは当然のことかもしれません。

 

でもね、大学生全体を考えたときに、これでいいわけがないと私は思っています。

なぜなら社会の中で、大学生だけが本分であるところを認められていない状況だから。

学生の本分は勉学であり、交流であり、学生としての活動です。

他の世代はそれが少なからず認められているというのに、大学生だけが頭を抑えつけられている状態。

でも今の学生、昔の学生のように血気盛んな輩も少なく、偽協調性と保身力だけは強く。

抑えつける側と抑えつけられる側が、うまくかみ合っているなんとも理想的な形が作られています。

これが今の日本なんだなあと感じることができる一面です。

どんなに真っ黒だとわかっていても自民党政治が支持され続けていることも。

何十年も英語が喋れない民族でいることも。

20年も30年も国民平均所得が横ばいであることも。

ITとは無縁の老いぼれた政治家が主導していることも。

技術で売ってきた以外、何の取柄もない日本は、もはや後進国であるという危機感を多くの国民が持っていないことも。

日本を憂う想い、数え出したらキリがありません。

 

以前、「LEADERS リーダーズ」というドラマを見たことがあります。

国産車の開発に人生をかけた、トヨタ自動車の創始者がドラマの主人公のモデルになっています。

こうして私財を投げうって、自分のために社会のために突っ走ってきた人たちが、今の日本の礎を築いています。

こうして築かれた現代の日本人の目には、残念なことに日本国の未来よりも個々の未来のみが映っているだけです。

国のことはどうでもいいんです。

自分が楽しく生きられれば。

気概とか気骨とか、無縁になってしまったんですね。

 

いやいや、でもこれは島国日本のもともとの特性でもあります。

かつて国を切り開こうとしたアメリカの人々のフロンティア精神のようなものなどは、もとよりあるはずがない。

蓮舫さんが言ったように、2番でいい国なんでしょう。

1番手になんてなるはずがないんです。

太平洋戦争で日本は、真珠湾攻撃で奇襲を仕掛けたつもりでしたが、実は米国にすべて暗号を読み取られていました。

物量の差もさることながら、実は情報敗戦国であったのです。

そして戦後、賢明な労働で復活を遂げてはきましたが、情報軽視の傾向は今も続いていると思いませんか。

島国である日本国民は、従順でおとなしくて、大概のことは受け入れていける民族であり、そういった情報戦を駆使したファイティングスピリットは残念ながら弱いと思われます。

そんな民族である現代の大学生、わかりましたと素直におうちに居るしかないんですね。

 

さて、オンライン授業であることは何がいけないのか。

これは理系はもちろんのこと、文系であっても、実際に聞いて、見て、触れられる現場にいることで、何よりも学生の本分にオンラインでは得られないプラスアルファの働きがあり、オンライン授業では残念ながら、これが享受できないと考えられるからです。

気づかなくては吸収しにくく、ピンポイントになりやすいオンラインとは異なり、実際の大学生活では、否が応でも必要以上のたくさんの情報や知識に囲まれることになります。

そのうえ、サークルや部活動などに参加できることは学生ならではであり、これがこれからの人生でどれほどの好影響を与えるかと考えると、たとえ半年という期間であっても停滞させるのはもったいないと思えます。

大学生活はあっという間です。

3年生の夏からは就活が始まります。

真に学生生活を謳歌できる時間は案外短いものです。

凡人であればなおさらですが、人生は遊びの中にこそ学びがあると思えます。

愉しいことをどれだけ経験したかで、人生に厚みとゆとりができると、この歳になって断言できます。

その土台の1部分は学生生活で築かれ、それを知っている親世代も、だからこそ経済的に大変な思いをしてでもも 子どもを大学に通わせているわけです。

ピンポイントの学習であれば、大学でなくてもいいはずですから。

 

そう息巻いたところで。

大学は元に戻すのに相当な時間をかけていく気配です。

でもこれはそのまま、社会全体の鏡じゃないですか?

コロナが騒がれてもう8か月になります。

私などはとっくにこれをインフルや風邪と同等扱いしてきたので、今だにコロナを前に足踏みをしている世界の状況を馬鹿げていると思っていますが、そんな風にきっぱりと言える人たちがどれくらいいるのでしょうか。

少なくとも、コロナが怖い、世間が怖い、高齢の親にもずっと会いに行っていないという人々は、大学のオンライン授業を責めることはできませんよね。

私のような考えの持ち主が大半を占めていかない限り、大学側は怖くて普通の状態には戻らないように思えます。

誰だって責められたくないですから。

こんな私だって、コロナを怖がっている人とは、きちんと話を合わせていますからね。

大学側も板挟みなんでしょうね。

 

このコロナ騒ぎが普通の風邪であったとしても、これだけ世界中の人たちが一気に感染してしまうとなると、「風邪の超大流行」としてどの国もなるべく感染しないように対策を考えるでしょう。

今回これが未知のウイルスだったから、世界中の人々が家に閉じこもりました。

ようやく、正体がわかってきて、大丈夫かもという傾向にもなりつつあるかなという具合ですが、まだまだ正常には戻らないし、戻せないようです。

 

このウイルスをいつまでも怖がって、人の目を怖がっている人々は、今まで怖い思いもハブられた経験もなく、平和に過ごしてきた人々なんでしょうか。

本当に怖いことは、何事においても自ら真実を追求せずに、歩みも思考も止めて流される馬鹿な大人になってしまうことなのだと、このオンライン授業問題でひとりでも多くの学生が悟ってくれることを望むばかりです。