心が通じるってどういうことなんでしょうか。
心が通じる相手っていますか?
今の私にはその対象として、息子と娘と実姉が居ます。
大概の思考・愚痴は、彼らに発信すれば、私の中では一応のピリオドを打つことができます。
私の場合、そこに夫は含まれていません、残念ながら。
理想は、この対象のトップに夫が居ることなのですがね。
若かりし頃は、夫婦とはお互いの感情や思考を受け止めて、向き合っていくものだと疑いもしなかったのですが、これが勘違いだと気づいたのはずっとずっと後であり。
もうこのまま、交わることのない思いに知らぬふりをしながらこの夫婦生活を全うしようと決めています。
結婚34年にして、あらためて言われましたが。
「お前は俺に何をしてくれたの?」
ふむふむ。
まあ、以前にも言われたことがあるような気もするけれど。
そう言われれば真剣に考えて、夫には何もしていない。
夫のほうは、俺が養ってやっていると思っているから、この言葉を発したのでしょうが。
昨晩、体裁のために夫の両親の法要をやってほしかったが、それが拒否されると考えたので、ずっと言わずにいたと言われました。
常識的に法要をやらないのはおかしいと。
この話題は数年前に義両親が亡くなったときから、複数回家族内でのぼってきました。
まあ、いろいろないきさつは省略しますが、夫が言い出すたびに言い争いになり、ほとほと疲れている話題です。
私と子どもたちの考えは伝えてあるはずなのに、感情というものをまったく無視する夫には到底理解できないようで。
我が家のこの話題については非常に極端な例になり、なんともジャッジはしにくいのですが、どんなことでも感情を優先する私と、感情なんてどうでもよく形だけを整えたい夫とはどうしても何かにつけてうまくいきません。
何かをしてもらいたければ、自分も何かをしてあげなくてはいけないはず。
優しさが欲しければ、自分がまず優しくしなければいけないはず。
そう話した私に、「お前は何をしてくれたの?」と聞いてきた夫。
30年以上夫婦をやってきて、こんなふうに言われる時点で、もう終わっているなと感じます。
確かに何もしていないかもしれない。
でも、妻に内緒でいくつかの大きな裏切り行為を重ねてきた自分のことは何とも思っていないのかしら。
きちんと謝られてもいないし、それどころか、それが悪いことだと思ってもいないようで。
わかってわかってと泣いた過去もありましたが、感情をいっさい無視する夫には何も届かないようで。
それなのに、形だけは要求してくるって、図々しいにもほどがあるんですけど。
何度も何度も何度も、訴えても通じることのない相手には、涙と時間の無駄だと悟ったときから、私の中で決着がつきました。
お互いにどんなことがあっても平行線のまま、交わらない夫婦。
どんな末路が待っているのでしょうかね。