「映像の世紀」というNHKで放送されたドキュメンタリー番組、見たことはありますか?
私はこれが好きで、「プレミアム」「新・映像の世紀」というシリーズ3点セット、全部を録画してブルーレイディスクにおさめています。
19世紀末、人類は動く映像の記録という技術を獲得し、やがて世界中の人々がそれを同時に見ることができるようになりました。
その流れを時系列で丁寧にわかりやすく紹介していて、あらゆる人々が知らなければいけないことが多い、貴重な番組です。
この番組を見ると、あまりのスケールの大きさに、コロナ禍の懸念なんてちっぽけなものだと思えます。
平和な時代がいつしか、争いの時代に移っていく。
そのきっかけは、人間の強欲、閉塞感、そして、無知と無能。
コロナ禍はそのきっかけになるかとの懸念もありますが、先の大戦の当時とは違い、現代においては決して人類は無知・無能一辺倒ではなく、世界が同時に争いの時代に突入することはないのかなと、希望的観測をしています。
日本は島国であり、古くは鎖国をしていて、長い間世界を知らずに人々は営みをしてきました。
当然、出遅れているのは仕方ありません。
日本の終戦を伝える天皇陛下の玉音放送で、陛下の肉声をはじめて聞いた日本国民。
対してアメリカでは、当時から日本とは雲泥の差のある情報機関が存在しています。
日本のパールハーバー襲撃は実は暗号解読済みで、当時の大統領ルーズベルトは知っていながら放置したという説があるくらいです。
日本の敗戦は当たり前だったわけですね。
アメリカに遅れながら日本も、ラジオで玉音放送を聴き、その後映画館で映画を見るようにもなり、やがてテレビが家にやってきます。
そこで、あらゆる日本人が世界をはじめて知ることになります。
テレビ画面に映し出される映像は、まぎれもない事実であり、確かな言葉も添えられ、日本のみならず世界中の人々が、今起きている真実を瞬時に共有できるようになりました。
そうです。
映像は真実でした。
そして時は流れていき、現代の社会。
テレビの画面では、人々は真実ではない映像も見ることになります。
テレビ局内で編集される映像には、一部が全部のような誇張表現や、大勢に都合の悪い意見の排除、挙句の果てには捏造やヤラセなどが横行するようになりました。
テレビに加わったPCやスマホの画面でも、金儲けのための動画を四六時中目にするようになりました。
そう、すべてが金儲け主義になってきています。
民間放送の番組は、企業の広告収入で成り立っています。
テレビ局では視聴率が上がれば、より高い料金で企業にその番組の広告枠を買ってもらうことができるので、視聴率を追いかけます。
コロナで大盛況のワイドショーなどは、コスパが非常にいいはずだと素人目線でもわかります。
スタジオで、それほど高いギャラを払わなくてもいいメンツを揃え、深い知識もない素人同然のタレントが右へ倣えのコメントをしていれば、それで成り立つ番組です。
今回のコロナ禍で、一番の立役者はテレビ局だと言えます。
そう、悪い意味で。
コロナウイルスをエボラ出血熱同様の恐ろしい病と同等レベルの位置づけにして、国民が外に出ないように、テレビの前に釘付けできるように、ストーリーを展開しました。
はじめてテレビが家にやってきた時代に戻すことができたのです。
テレビ離れが顕著になっていた風潮を、逆戻しすることに成功しました。
テレビ局のひとり勝ちです。
でもね、歴史の歯車は逆に回転させてはいけないのですよ。
以前、書きましたね。ベルばらで出てきた名言です。
「歴史の歯車を逆に回転させようとするものは必ず滅びる」と。
小手先の陳腐なカードで勝負しても、真の勝利にはならないことに、テレビ局側も気づいてはいると思います。
そして、いつの間にか見切りをつけて勝手に方向転換をします。
真実だと思っていたことが、それは違うからと急に示され、馬鹿正直な視聴者は取り残されていきます。
いつまでそこにいるの?と嘲笑うように変遷していくテレビ画面を前に、どっかり胡坐をかいていてはいけないんです。
テレビはずっと真実を伝えてきていました。
でも今は違います。
拝金主義者となったテレビ局に、すべてを踊らされるのは怖いこと。
そして人生においていちばん怖いことは、自身の無知と無能であることを知っておいた方がいいですね。