先月、俳優の田中邦衛さんが亡くなりました。
田中邦衛さんと言えば、少し前の世代では「青大将」なのでしょうが、私たち世代では、なんといっても「五郎さん」でしょう。
フジテレビのドラマ「北の国から」は、大ファンというほどではないにしろ、大好きでした。
スペシャルの2本を見逃しているものの、その他はこれまでに全部見てきているし、さだまさしさんの「あ~あ~」が流れるだけで、自動的に涙が流れる仕組みになってもいます。
もうね、純と蛍のかわいいことと言ったら。
北海道の底力のある美しい景色と言ったら。
役者たちの類を見ない素晴らしい演技と言ったら。
脚本や演出をはじめとするスタッフたちの本気のドラマ作りと言ったら。
このドラマを超えるものはないんじゃないかと思えます。
全否定はしませんが、今のちゃっちいドラマとは比べ物になりませんね。
私、ドラマや映画を語れるだけの知識は全くないのですが、ちょっと語らせてもらうと・・
「北の国から」って、役者のセリフ、半分くらい聞き取れませんよね。
方言であったり、演技であったりで、耳を澄ませても、もう一度聞きなおしても、やっぱりわからないというシーンがたくさんあります。
でも、役者の演技やシチュエーションや脚本の力で、セリフをきちんと聞かなくても十分にすべてが把握でき、ストーリーも心情も伝わってくるんですよね。
きちんとしたセリフ、聞き取りやすい喋り方、それが演技の基本じゃないかと思っていましたが、違うということもあるんだなと気づかされます。
大事なことは、伝わるかどうか、共感できるどうか、引き込まれるかどうか。
そこだけなんですね、きっと。
言葉や発音はいちばん大事なものじゃないんです、きっと。
倉本聰さんと並ぶ脚本家に、山田太一さんがいます。
山田さんの代表作ともいえる「ふぞろいの林檎たち」で、学生の時任三郎さんの部屋の中が映し出されるシーンがありました。
男子大学生のひとり暮らし。
朝起きたときの部屋です。
ちゃぶ台のようなテーブルに、ビールの空き缶やらお菓子の袋やらが散らばっています。
飲んで食べたまま、ベッドに入ったのでしょう。
そのごみ置き場のようなテーブルの上にあったのが、小銭でした。
ポッケから出して、ザーッと投げだしたままの小銭が、その中に混じっていたわけです。
これは素晴らしいと思いました。
ここに小銭を登場させる演出は、ちゃっちいドラマではできません。
倉本作品も山田作品も、視聴者のあるあるの日常を、見事に演出しているんですね。
視聴者が共感できる大事な要素を、しっかりわかっているプロのドラマ作りをしていることがわかります。
今はドラマや映画製作だけでなく、あらゆる業界において、プロと言われる仕事人は減ってきていると感じます。
これはいいことなのか、寂しいことなのか。
はっきりと言えることは、私たち世代はその狭間で、時代の移り変わりを肌で感じてきた最後の世代なんだろうということ。
時代が移り変わる中で生きてきた私たち。
そして、前の時代を知らない自分の子どもたち。
我が子たちにその時代はどう映り、どう捉えるのでしょうかねえ・・
というわけで。
「北の国から」を見ています。
だからこそ、こうして前置きで長く語っていたわけで。
実は、昨年夏ごろからちまちまと、リモート授業の娘とフリーターの息子と3人で、気が向いたときに昼食を食べながら1話ずつ見ていました。
CSで昨年、一気に24話とスペシャルのすべてを放送していて、それをブルーレイディスクにダビングしておいたので。
そしてついに昨晩、ようやく24話目の最終話を見終えたところです。
少し前から息子のほうはリタイヤ。
ここ数話は、娘とふたりで見ています。
いやいやいや・・
当初の気持ちとはかなり変わった自分がいます。
単刀直入に言わせていただきますと。
五郎さん、嫌です・・
大好きなドラマでした。
純と蛍が愛おしく、なにしろ五郎さんとの絆がすばらしいと。
北海道の自然があまりに素敵で、私がアメリカの壮大な大地に憧れる気持ちは、このドラマのせいでもあるんじゃないかと。
でもね、ドラマの随所で見られる、五郎さんの顔色をうかがう子どもたちの様子。
あれはちょっと私には無理。
北海道の電気もないところで、幼い子どもたちを暮らさせる五郎さん。
自分のことは棚に上げて、純にいらつく五郎さん。
理想の父親だと思ってきたけれど、今こうして改めて見てみると、ただ強引な自分勝手野郎にも思えてきます。
水商売の彼女ができてデレデレした様子を子どもたちに見せているくせに、純が水商売を嫌悪している発言をすると、機嫌を悪くする。
そう、五郎さんが機嫌を損ねて、それを子どもたちが恐れて、様子をうかがいながら夕食をとるシーンが結構あります。
あの重たい雰囲気と言ったら・・
なんだか息が詰まります。
こんな野郎、いやだ!
なぜなら。
そう、あの姿は我が夫であり、娘にとっては我が父。
「うちといっしょじゃんね・・」と毎回ドラマを見終えては、娘と話していました。
地雷を踏まないよう、気をつけてしゃべる。
もし機嫌を損ねたら、4人とも誰もしゃべらず下を向いて、黙々とご飯を食べる。
こんなことが多いときは月に3度ほどあったりしました。
私も娘もそれを思い出してしまい、ドラマに感動することよりも、それが重たく感じ、どんよりとした気分で終わります。
トラウマってやつなんでしょうかね。
あんなにも好きだった名ドラマなのに、余韻として残るのは苦しさなんです。
五郎さん、ごめんなさい。
夫と重なってしまい、どうしようもない嫌悪感を抱いてしまっています・・
移り行く時代について、娘と語り合うはずが、愚痴のこぼしあいになる始末で。
でもとりあえず、スペシャルもすべて見てみるつもりです。
少しでも無邪気にドラマに惹かれていたころの自分に近づくことを期待して。
それから、夫の重たい食卓が過去形になっているのは、今は夫と離れて暮らしているから。
それはまた、後日記すということで。