私と息子と娘が東京に近いマンションへ。
夫はひとりで、もとの家に。
この奇妙な状態がなぜ生まれたのか。
もともと、昨年秋ごろ、息子の勤務先が決定して、さてどうしようかとなったことがきっかけ。
もとの家からの通勤は時間的に不可能。
ここで普通の家庭なら、息子のひとり暮らしが決定となり、親としてはその準備をお手伝いするということになるはずです。
でもそれを、渡りに船と考える輩がふたりいました。
娘と私です。
娘の場合、当時も今もオンライン授業ではありますが、以前は都内まで2時間弱の時間をかけて通学。
再三、ひとり暮らしをしたいと言っていました。
そして私。
もとの家は自分で暮らしやすく設計して建てた大好きな家なのですが、なにしろ周りには何もなく、老後は絶対に暮らせない場所。
車が運転できなくなれば、その前に転居しておくか施設に入るという選択が必須です。
そこで、どうせならみんなでお引越しをしちゃおうという発想に、私自身があっという間にたどり着きました。
そのうえ、子どもたちの「ひとり暮らし財政難」を防げることも、母としては大きな要因。
自分が若かりし頃、ひとり暮らしで、お金がない生活を嫌というほど味わった経験があったので。
さて、この壮大な娘と私の野望を夫にどう理解してもらうか。
ここに焦点が移っていきます。
この時点では、当然家族4人での移動ということになっていましたが、夫は渋ります。
夫が渋る点としては、
①まずは息子と切り離して考えるべき。この場合、息子がひとりで暮らすのが一般的。
②いずれこの家から移動しなくてはならないことは理解はできるが、それが今なのか。本当にどうしようもなくなったときでいいのでは?
③起業して2年弱。コロナ禍もあり、事業も多少の心配があり、せっかく築いた老後の財産をこれで使い果たすことになるのは不安。
至極まっとうな意見です。
周りの人が聞けば、これは夫の言い分が100%正しく、私の考えは却下されるのが当然のことで。
それに対する私の反論です。
①子どもたちと離れたら、私はきっとメンタルが壊れてしまう。
②どうしようもなくなったときの移動は相当大変。余力があるうちに考えるべき。
③この家と違い都会に近いマンションなら、それなりの財産になるし、今ならまた頑張ればまだ同じくらいの財産を築くことも可能。
タイムリーな話として、夫の親友から、自分の奥さんが子どもが巣立ったあとに精神が不安定になり大変だったという話を夫自身が聞いていたことも、私の気持ちを理解してもらえる大きなポイントとなりました。
ふだんの夫は、私の気持ちに気づくこともないし、理解を示すことは皆無と言っていいですから。
買うのではなく、いずれは賃貸でもいいという提案もされましたが、それに関しては、私の実親が高齢になってからの賃貸は敬遠されるという実体験をしていて、夫もそれにはすぐ納得をしてくれました。
言い合いをして、ケンカもして、そのうちに、じゃあ物件だけでも見に行ってみようかという流れがようやくできました。
ここまでくれば、勝利まではそれほど遠い道のりではありません。
ただ、この時点では、当然家族4人での暮らしを想定しての物件探し。
難航しました。
まず4LDKという間取り。
希望そのままだと100平米は軽く超えることになり、その平米数の物件を探すと、都心の高級マンションとなり、もちろん億の金額となります。
都心まで電車で40分以内で、駅近で、スーパーも銀行も、できれば医者も徒歩圏内。
う~ん、なかなか予算内では難しい。
5~6件のマンション見学を終えて、希望通りのマンションはないことがわかりました。
何かの希望条件を削っていかなくてはいけません。
その中で、3LDKという選択肢が生まれてきました。
「とりあえず、俺はあとから合流でもいい」
夫の発言で、流れが変わったのです。
3LDKということでいいのなら、物件の幅は大きく広がります。
子どものどちらかが結婚や転勤でひと部屋空いた時に、夫が一緒に住み始めるという夫の提案には、本当にそれでいいのかと首をかしげましたが、私にとっては心底、棚から牡丹餅的な流れでした。
そして、そんななか、今のマンションに出会いました。
夫のゴルフのメンバーコースから遠いという理由で圏外だった場所に、条件を広げたらヒットしました。
駅まで2分。スーパー3分。
銀行、郵便局医者徒歩5分以内。
飲食店は駅前なので困らないほどあり。
これなら子ども達の通勤通学もOK。
都心までは電車のみで40分ほどかかりますが、駅までが2分なので、都内のどの職場でも許容範囲だと思います。
私たちの老後も安泰。
免許証を返納しても、暮らしに困りません。
予算内におさめることができ、最上階のお部屋に決定しました。
部屋はなにしろ狭く、大人3人なんてきつい。
それでもここに決めたのは、どんなことよりも駅近であることとスーパーがそばにあることの2点でした。
マンションの狭さもクオリティーの低さも、結局このロケーションの良さを覆すことはできずに、ほぼ1度の見学で家族全員の意見が合いました。
4人の意見が一致することなど、これまであり得なかったことです。
そしてその時点で、夫がもとの家に残ることが決定となりました。
ただそれが完全に3人対1人という構図になるかどうかは、まだその時には夫の中では確定されてはいなかったと思います。
俺はあとから合流すると言ったものの、私の居場所を流動的として、構想としては、1ヶ月のうちに数回両方を行き来するとか、2週間ごとに行き来するとか、夫はそんな風に考えていたと思います。
私自身もそう話していた気がしますし。
ところが、いざ引越しが迫ってくると、それが不可能であることがわかりました。
私の所在をはっきりさせなければ、持っていく荷物や、買わなければいけない家具をどうしたらいいのかがわからなくなってしまいます。
次第に、私の拠点がマンションになるというしっかりとした流れに変わっていきました。
すると、夫に少しずつ変化が出てきたのです。
小さなことにも怒り出したり、当たり散らしたり、ブスッとしていたり。
以前から3人対1人で言い合いをすることは多かったのですが、こんなことで言い争いになるの?というレベルで揉め事が頻発して、引越しの2か月くらい前になると、3人で早く逃げ出したいねと愚痴をこぼす毎日になりました。
おそらく夫は寂しくて苛立っていたのだと思います。
それに私たち3人は気づいてはいましたが、どうしようもないことでもあり、あえてそこには夫自身も私たちも触れずに、引越しの日をそのまま迎えました。
夫は結局寂しさを前面に出すこともなく、私たちは解放されることをひたすら願って。
引越し当日。
荷物がすべて運ばれ、ひと息ついて、夕方になり夫はひとり車で帰っていきました。
それを3人で見送り、かなり心が痛みましたが、マンションのエレベータに乗り、部屋に戻り、ベランダから景色を見たときに、自由という感覚がどこからか湧いてきた気がしました。
そうなんだ、これからは夫の顔色をうかがわずに済むんだ・・
その後も夫がこちらに来たり、私がもとの家に行ったりをしています。
夫がマンションに来て、ひとり帰るときには、やはり少しかわいそうに感じます。
自分の気持ちをあまり言葉にしない夫が、引越しの日に、家にひとり戻ったときに、ガランとした家の中でさすがに寂しいと感じたと電話で話していました。
夫が普通に感情や愛情を言動で表す人だったら、今こんな形になっているはずもなく、マンションを購入することすらなかったと思います。
30年を超える長い時間を夫婦として過ごしてきて、今この形に辿り着いたことは、これもまた運命であり、こういう夫婦もあるんだなあと他人ごとのようにも感じます。
私が今夫婦の形を考えたときに、真っ先に思い浮かぶのが白洲次郎・正子夫妻です。
白洲次郎は吉田茂の側近として活躍した実業家ですが、夫婦円満の秘訣は「いっしょに居ないこと」だと語っていたそうで、実際この夫妻はそうだったようです。
もちろん、それではだめだよという夫婦が大半なのでしょうが、私にはこれが本当にしっくりとくる言葉であり、それをまた頼りにもしています。
いっしょに暮していた時には、夫の居る時間が嫌で、その空間が嫌で、彼の言葉や態度に何かを気づいていても気づかないふりをしていたし、会話も極力少なくしていました。
でも今こうして離れてみて、夫に優しくなれる自分が居ます。
それは子どもたちも同じようで、父親を気遣う言動が見られるようになりました。
逃げだすようにして引越してから2か月。
これでいい、これがいいと思える日々を4人が送っている気がします。