毎朝、息子が駅までの道を歩いていくのを、12階のバルコニーから見送っています。
少し猫背で、下を向き、スマホを見たりしながら、駅へと向かっています。
同じような若いサラリーマンもいますが、すぐに息子だとわかります。
病気の宣告を受ける前もそのあとも、こうして変わりなく息子を見ています。
私の気持ちに変化はあったのか。
やはりよくわかりません。
ただ、息子は偉いなあと感じます。
医者から病名を告げられ、受け止め、きちんと翌日から出勤をしている。
家族に対しても何も変わりはなく、友達と会ったり、スポーツをしたり、これまでとくらべて変化はありません。
薬も飲み始めました。
血小板の数値を下げる強い薬で、副作用として頭痛や吐き気などが強く出るとのことです。
「俺は薬に耐性がある方だと思っている」
そう言っていた息子、やはり多少の頭痛は続いたようですが、ここ数日はそれも落ち着いてきたようです。
息子の心の中はどうなっているのか。
最近はよく将来のこと、特に結婚について口にします。
結婚はできるのか。
結婚はできても、子どもはつくらない方がいい。
それなら、やはり結婚自体もあきらめたほうがいいかもしれない。
そんな話をします。
これに対して私は否定も肯定もせず。
今は何も答えが出せません。
ただ、息子の心の声をきちんと聞いてあげようと思っています。
息子が背負った苦しみを、自分にきちんと課せていないもどかしさがずっとあります。
彼が背負った苦しみを同時に同じだけ共有できていて、なおかつ私自身がそれを払いのけようと努力すること。
それが、母としての望ましい姿でした。
でも、今回それができない。
大人である息子が数歩も先に行ってしまっている。
老いている自分が、どんどん出遅れている。
そして何より、戦う相手の姿がはっきりと見えず、戦い方もわからない。
ただただ静観すること。
思えばね、彼が2歳前にも同じようなことがありました。
容易には受け容れられない内容を突きつけられ、それでもがいた時期がありました。
半年かけてそれならそれで仕方ないという受容ができました。
そう、私の子育ての原点はそこにありました。
受容すること。
抗い続けることはあまりに苦しいことで。
そして、受け容れた後でどの道を行くかを考えました。
子どもたちを矯正なく、自然に育てること。
そこを邪魔するものに対しては、正面から抗ってきました。
まずは受け容れる。
これが私の原点になっていて、どうしてもそこからスタートさせたい自分が居ます。
でも今回それでいいのか。
手探りしている自分が居ます。
時間が導いてくれるのを待ちます・・