パリのディズニーランドから、クリスマスオファーのメールが来ました。
気分が上がりますね。
パリ行きの航空券は2人分ゲットしています。
帰国後の待機が0日になると同時に、外務省の出している安全渡航情報のレベルが下がった時点で、もうひとり分の航空券を買おうと思っています。
まあ世界の中で、日本だけが鎖国状態を貫いている今、このままでは商機を失うという焦りが経済界であるのは当たり前で、ドバイの万博で大阪万博を大々的にアピールしたい大阪市長なども、政府に水際対策の緩和を強く要望しているようです。
今回の選挙いかんによりますが、おそらく11月中には緩和の実行がなされるものと私自身は予想はしているのですがね。
いつも夢を持つことは大事。
そうしなければ息詰まる時代だと思います。
誰かの目を気にしながら、誰かのために自分の言動の制限をする。
病んじゃいそうです。
コロナ禍によって、それがもっと増した気がします。
他人のために気をつけるなんて、当たり前のように言っているけど、みんないつからそんないい子になったのか。
自分が苦しまないようにするためというのならわかるけど、いつも人のために気を使うなんて、聖人君子じゃないので私にはできません。
人に迷惑をかける行為のラインの引き方をもう少し緩和しないと、自分を苦しめるだけ。
人それぞれ、できる範囲で。
個性とか主張に蓋をしたら、人の成長は止まってしまいますからね。
パリディズニーのチケットやホテルに関しては、息子に一任しています。
ゴーサインが出たら、いつでも予約を入れられるように、準備をしておいてほしいと言ってあります。
それが毎日の支えに少しでもなってくれればうれしいと思っているので。
人生を彩ることは大事。
ちょっと話は外れますが、30年ほど前のクリスマス、当時のルーマニアのチャウシェスク大統領が公開処刑されました。
富と権力を完全独占し、無敵に自由を謳歌してきた大統領夫妻の最後の銃殺シーンを、2年ほど前に映像で見たことがあります。
夫妻は最後まで恨みつらみを言いながら殺されましたが、娘とふたり、彼らの死について話しました。
最後はあんな不幸な形で終わりましたが、彼らのそれまでの人生は幸せそのもの。
好きなように生きてきたわけです。
人はいつかは死んでしまうものだとすれば、やったもん勝ちでいいんじゃないか。
もちろん、国民の感情は別物で、夫妻の人生だけを考えればの話です。
こういった自分の私利私欲で傲慢な人生を送りながらも、みじめな辛い最後になってしまう人たち。
でも、最後があんなでも、それまではいい人生だったんじゃないの?
例えば、毎日苦しい貧しい生活をしていても、最後に大好きな家族に看取られて静かに息を引き取る人と比べて、どちらが幸せと言えるのか。
極端な比較ですが、当時の娘と私は、迷わず大統領派に軍配を上げました。
でも、なぜかその話を思い出した今、断言できない私がいるんです。
コロナ禍もあり、息子の病気も出現して、頑丈な私の精神は以前とは違うものになっている気がします。
いつのまにか、安穏とか、防御とかを無意識に選択するようになってきているようです。
周りよりも自分を優先できていた環境が、少しだけ変わったということでしょうか。
これを成長と呼ぶのか。
50代後半になって、よくわからない現状に出会っています。