今日は3月3日。
桃の節句。
そして、我が家の記念日。
そう、昨年の令和3年3月3日に今のマンションに引越しをしました。
夫からの独立記念日だとも思っています。
この生活が始まって、1年経ったんですね・・
あっという間の1年で、いろんなことのあった1年で。
結果的には、私には身体的にいろんな制裁がありましたが、息子のフォローもしっかりとできて、夫にも優しくなれて、いい生活が送れていると思います。
よし、今日は以前は毎年つくっていた、いなり寿司とはらこ寿司を久しぶりにつくってみようかしら。
先月の息子の定期診察。
強力な薬のおかげで、随分と血小板の数値も落ち着いてきているとのこと。
正常値とまではいかないでしょうが、あと1段階下がってもらえたらというところ。
今の状況では、まだ血栓のできやすい状況ではあり、安心はできないのです。
そしてもうひとつの脊髄の繊維化の方は、どうなっているのかはまったくわからないのが現状。
これを調べる骨髄生検という検査は、あまりに患者側の負担が大きく、簡単にできる検査ではないので、ただただ、本人も家族も祈っているしかないわけで。
もっと簡単に中を見ることができたら、今どうなっているかを知ることできるのに。
繊維化がゆっくりとゆっくりと進行していってくれるのを願うだけの日々です。
先日の診察では、骨髄移植の話も再度出ました。
最適候補者は、息子の妹である娘だということ。
私たち親ではだめらしいのです。
年齢的なことなのかなあ・・
いずれにしても、最悪の場合になったときにはこの移植に頼ることになるのですが、これで生き延びられる確率は20%だということなので、ここにたどり着くのがずっとずっとあとになってほしいと祈るだけです・・
私の体の方は、ようやく元に戻りつつあります。
なんといっても、足!
ようやく爪がはがれたのです。
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爪が剝がれきったことで、靴もようやく履けるようになり、普通の歩行もできます。
結果的には、私の足の不調は、この爪によるものと、昨年の自転車事故で股関節を痛めたことによるものだということがわかりました。
靴が履けて、股関節を開く運動をするようになったら、あれよあれよという間に走ることもできるようになりました。
足の不調が無くなれば、健康のための運動もできるようになり、高めの血圧も腎臓の数値も減らせるようになります。
すべてがようやく好転し始めました。
長い長いトンネルでしたね。
この1年の難行苦行は、大いにこれからの戒めとなりました。
娘は、この1年どうだったでしょうか。
ここに引っ越すことを、誰よりも望んでいたのが娘でした。
もとの家に、1ミリの未練がないのも特徴的。
父親から離れることを強く強く望んでいたし、徒歩で駅にもショップにも自由に行ける今の状況がとても気に入っているようです。
インドア派なので、コロナ禍で大学に行けないこともむしろ大歓迎。
もともと、大学の雰囲気があまり好きではなく、1年生の時は転学も試みたこともありました。
もともと、この大学は彼女には合っていなかったんだろうなあというのは、親の私も感じていました。
彼女のクセのようなものもあり、もとの家からの通学困難だったこともあり、コロナもあり、彼女の大学生活4年間は、決して楽しいものではなかったんだろうなあと感じます。
そんな大学も、昨日卒業が確定して、晴れて就活浪人となった娘です。
卒業式にも欠席するという娘。
袴も着ないのは寂しいので、卒業証書をもらったら写真だけでも撮りに行こうと話しています。
そして、一応ですが夫。
ひとり元の家に残され、その家も予想外に売れてしまい、今はひとりで賃貸マンションに暮らしています。
自分なら耐えられない状況だし、自分ならこの状況には至らないと言い切れます。
夫の心情を理解することは難しいことです。
寂しいとか、楽しいとか、そういった感情が、私と同じラインには無いので。
共有とか、共感とか、一緒に居るときもなかったなあと思います。
この1年、夫を残してきたことで夫に詫びたい気持ちと、夫と離れた解放感とのバトルが私の中に常にありましたが、それもようやく落ち着いてきました。
夫は仕事とゴルフがあり、週に一度ほど家族と会うことで満たされている。
これでいいんだと思うようにしています。
そこで夫の気持ちを考えてしまうのは無し。
私と夫では、視点や観点、何もかもが違いすぎるので。
明日は夫が春服を買いに行くので、付き合ってほしいということで、娘と3人でショッピングに出かけます。
こういう気持ちになるのも、これまでには無かったこと。
さて、ここ数日は暖かくて、ようやく春めいてきました。
春です!
待ち焦がれた!
世界は不穏ですが、春を待つ心も、迎える準備も、楽しんでいきたいですね!