昨日のゼレンスキー大統領の演説を聞くために、開始2分前からテレビの前に座っていました。
モニターに大統領が映し出されたときに、その凛とした佇まいに圧倒された気がします。
落ちつきはらった深みのある声で、まっすぐなまなざしで、日本人が共感できる言葉をちりばめて静かに訴え、本当に心に沁みました。
明日には無くなってしまうかもしれない命の危機と戦いながらの状況下で、日本国民に対して、まっすぐに穏やかに語りかけるこんな強靭な精神の持ち主を、私は他に知りません。
彼の演説に対して批判をする日本人は、一体どこ目線なんでしょう
そして演説中の、最前列に座っていた外相のあくびはいったい何を物語っているんでしょう。
命がけの人を前に、批判をする国民、あくびをする議員。
それが今の日本だということですね。
そもそも、ゼレンスキー大統領を非難する人は、どういう考えの持ち主なのか。
ロシアと同胞(これはロシア側の勝手な思い入れ?)でありながら、NATO入り希望を宣言してしまったことに対して、迂闊だった、もう少しうまくやるべきだったという意見。
確かにそれはそう思います。
例えば日本が同盟国と言っていながら、アメリカにそっぽを向いて、勢いのある中国に仲良くしてほしいと全面的に擦り寄っていくという構図。
日本に果たして、それができるかということ。
これが例えとして妥当なのかはわからないのですが、こんなふうに考えると国と国のつながりは、単純なものじゃないんだろうなあと思えます。
でも、複雑な事情があって、腹立つことであっても、今回のウクライナへの勝手な侵攻は許されるものではないということだけは、正しいはずです。
アメリカ議会でのゼレンスキー大統領の演説で、腹を立てた人も多いようです。
日本の真珠湾攻撃を、ロシアのウクライナ侵攻と同レベルにしたということに異議を唱える日本人たち。
こんな記事もありました。
日本人としては受け入れ難いそうで。
でもね。
真珠湾攻撃は日本の奇襲であり、これにより太平洋戦争の火ぶたが切られたというのは世界共通の認識となっていること、これは覆すことはできないのです。
この攻撃の前に、日本がやってきたことはどうなの?と聞きたいですね。
満州事変で中国を制圧して、さらに侵攻をしようとする日本に、諸外国から待ったの声がかかるのは当然のこと。
確かに真珠湾攻撃は奇襲ではなく、アメリカにそうさせられたしまったのかもしれませんが、その前の日本軍の侵攻は棚上げですか?と言いたい。
それがなければ、パールハーバーも沖縄戦も、原爆投下もなかったはずですから。
勘違いをしないでもらいたいと思います。
満州鉄道を爆破させて、それを中国のせいにしたのは日本ですから。
日本はまったく悪くないのに、敗戦になって、焼け野原になって・・というわけじゃないんですから。
ただいつの時代でも、まったく罪がないのは、何も知らない、知らされない国民です。
いやいや、今の時代は情報があるので、無知では済まされないよという意味では、大人ならまったく罪が無いというのはないのかもしれない。
でも、だからといって命が奪われていいわけではありません。
特に子どもたちなんて、何も知らないうちにこんな世界になっているわけですから。
その罪のない人々を守るために立ち上がっている人に、過去の出来事を引き合いに出されたと言って憤慨して、高い位置に立って非難していること。
しかもその過去の出来事は、自国に非があることであり、それを棚上げしてること。
今、懸命に戦っている大統領と、その大統領と共に戦っている人々に、これはめちゃくちゃ失礼なことだろうなと思います。
明日は我が身です。
日本がそうなったらどうなるのか。
その時が来ることを考えると、日本人としてまだまだ、経済的にも思慮的にも没落してはいけません。