2018年のアメリカ旅行。
WDWとクルーズでした。
少し前に、娘がその時の動画を見て、お母さんがめちゃ若い!と言っていました。
たった4年前のこと。
でもその4年の間に、私が相当老けたっていうことなんでしょう。
それはね、とっても感じるんです。
体重もかなり増えたし、おしゃれもしないし、ほぼ容姿に気を使わなくなった。
でもそんな外見のことだけでなく、もっとも恐ろしく感じるのは、気力と知力の衰え。
これがこの4年の間に、私を確実に襲ったわけです。
息子と娘と暮らすようになってから、このふたりに依存している私がいます。
夫と暮らしているときは、気負いがあって、すべてを自力で乗り切ってきた気がします。
でもそこから解放され、自由の身になった途端、気が抜けてしまった。
おまけに、寄りかかってもいい子どもたちの存在もあり、言うなれば好々爺。
ちょっとそこらあたりに出かけるときも、ナビから店の情報から、すべてを子どもたちに委ねて、自分はただ運転するだけ。
これじゃ、脳も衰えますね。
今回のアメリカ旅行でも、ちょっと調べるともう疲れちゃう。
答えが出るまでとことんかじりついていた今までの私は、どこへ行った?
コロナ禍が一番の原因であることは間違いないですが、夫からの独立、自転車事故と、自分の生活を大きく変える出来事が重なり、今のこの自分にたどり着いてしまいました。
まあ、イノシシのように猛進するパワーが影を潜め、その点においてはフツーの人になったと、娘には言われますが(笑)
というわけで、今回のアメリカ旅行が、私に以前のような活力を与えてくれるんじゃないかという期待もしているわけです。
そもそも、なぜ私たちは今、旅行へ行くのか。
前回の問いかけです。
答えはやっぱり「行きたいから」。
もう少し待てないのか。
答えは「待てないから」。
この4年の間の老いは、私の活力を奪ったのは間違いないのですが、同様に大きな恐れも感じるようになりました。
今の自分で無くなることへの恐れです。
それまでの自分は、不安や心配ごと、辛いこともたくさんあったけれど、自分が枯れてしまう怖さを感じたことはなかったんです。
ところがここ数年で、自身のケガや病気で、思うように動けないことの辛さを知ることになりました。
やっとそこから復活したと思ったら、今度は自分の勢いだけで物事を進められない世の中になっていました。
そしてこの世の中の動きはまるで不透明で、これまで何も危惧することのなかった平和ボケの私たちを霧のように取り囲み続けるような気がしています。
そして何よりも息子の病気。
私たち家族にも、それを取り囲む環境にも、自力ではどうも拭えない憂いが存在してしまったこと。
だから―
その憂いが現実のものとして突きつけられる前に、できるだけ潤っておこう。
それが私たち家族にとっては、旅行なのであり、人生を後悔しないためのツールなんだということ。
まあ、とってつけたようないいわけかもしれませんがね・・
それでもいいんです。
今回の旅行は、これまでになく不安なことが多いですが、私にとっても子どもたちにとっても、おそらく何かの突破口を開いてくれる旅行になることは間違いがないです。
*2019年グランドキャニオンの日の出