コロナもようやく、感覚的に終わりが見えてきた気がします。
喉元の奥の方にある黄色い痰が出てくるようになりました。
これが風邪の最終形態だという認識でいますが、やっぱり普通の風邪と違うなあと思ったのは、この痰が妙に粘っこい気がするんです。
少し汚い話ですが、同じ色のついた痰でも、これまでの風邪はもう少しさらっとしていた気がするんですが、痰を出す時に、口の中にアメーバのように薄くくっつくんです。
これがコロナの正体かなあなんて、自分なりにうなずいていたりしますが。
高熱が出た夫も、抗原検査だけで診断が出たようで、医療逼迫だと騒がれているのなら、心配な人はこれが迷惑がかからない、いい方法だと思います。
診断名があった方がいいという人はね。
会社や団体に属していて、否応なしに検査しろと言われてしまう状況でないのなら、診断って要らないんじゃないかと私は考えています。
なぜなら、診断されたところで、何も変わらないから。
確実な治療薬がある、対処しなければ死亡率が高いというのなら別。
診断されても、常備薬と同じものを出され、ただ安静にしているだけというのなら、まったくもって無意味なものという考えです。
そう、私のこの思考は、過去の経験に基づいています。
息子が1歳半の頃、なんと知的障害があると健診で言われました。
経過観察ということで、母子健康センターで開催されている、障碍児のサークルのようなものにも参加するように言われました。
2歳になって、確実だと言われ、専門家にも見てもらいましたが、重度だということ。
確かに、一切笑わず、目も合わせず、発語は無し。
やっと授かったかわいい子の未来に、2歳にしてレッテルを貼られて、地獄のような日々を送りました。
抵抗する、受け容れる。
毎日がその繰り返しでした。
この子は本当に知的障害なのか。
発達障害なのか。
一生このままなのか。
昨日はこれができた。
でも、今日はできない。
やっぱり普通の子じゃないんだ・・
そうやって半年ほどその辛い日々が続いた後、さっと雲が無くなったように自分で結論を出したんです。
悩んでも仕方ない。
このままを受け容れようって。
この子がどんな子だって、私の一番愛する子であり、それはどんな障害だろうと病気だろうと、何も変わらない。
目の前にいる我が子を、自分が支えていくことに、何も変わらない。
障碍児だろうと、健常児だろうと、この子の足りないものを自分が補い、いつも先に立って、手を差し伸べていけばいい。
診断名も、療法も、何もいらない。
私がこの子だけのプロになろうと、心に決めました。
時を経て、知的障碍者でないことが明らかになり、あの苦しみや悩みは過去のものとなりました。
まあ、難がない子かと言えば違うかもしれませんが、それは私も同じであり、社会生活がまともに送れていれば、良しということでいいと思います。
相当苦しみ、自律神経もやられた気がしますが、あの経験は私の子育てや生き方の原点になりました。
目の前のものをしっかりと観察して、徹底的に調べて、対処していく。
必要なものにはすがり、不要なものは排除する。
その基準はあくまでも自分の感覚。
他人に迷惑をかけていないか、自分や息子が苦しくないか。
そこだけが基準です。
それ以外のものは雑音であり、惑わされるだけの雑念になってしまうので。
でも、他人の意見にはきちんと耳を傾けてきました。
為になるアドバイスはしっかり拾って。
そうすることで、きちんと社会の片隅には居られることもできるので。
医学というものは、頼るべきではありますが、傾倒してはいけないものだとも思っています。
私は数年前に、難病と診断されました。
結論から言うと、おそらく更年期のうえ、自律神経が相当乱れていただけであり、ぶっちゃけ誤診だったと考えています。
この難病は、検査で診断される場合と、症状だけで診断される場合があり、私は後者とされ、1か月入院して、恐ろしいほど大量のステロイドを投入されました。
その後、いくつかの合併症が出現して、一番厄介だったのが歩けなくなったこと。
体重はなんとか支えられますが、ものにつかまらないと歩けません。
退院してからは、カメのように歩き、階段も手を使って四つん這いでゆっくり登ります。
信号は、誰かがいないと渡り切ることができず、ひとりで外出はできませんでした。
この状態が、病気から来るものなのか、飲み続けている大量のステロイドから来るものなのか。
がむしゃらに調べました。
そして、ある大学教授の話からヒントを得て、ステロイドを抜いていくことに自分で舵を切りました。
これには家族も主治医も大反対でしたが、私は自分が難病ではないという自信があったんです。
ならば、ステロイドを抜いて、この足が使えるようになれば、私は病気ではないんだと結論を出すことができる。
ステロイドを急激に体から抜くことはとても危険なことでしたが、あえてそれをやり続けた結果、私は歩けるようになり、今に至ります。
かなり無謀ではありましたが、調べて、相談して、結果的に回復となり、あの時に舵を切って本当に良かったと思っています。
あのまま主治医に従っていたら、私は今も病人だったでしょう。
いろんなことがあり、今の私の生き方があります。
多くの人が、それぞれいろんな体験をしてきたことでしょう。
それらを活かして、自分の人生を悔いのない、いい人生だったということにしたいですね。
あ、別に逆らっているばかりじゃないんですよ。
息子の今回の病気については、治療をしなければ死に至ることも、数値を見れば明らかなのできちんと受け容れています。
メリハリをつけて、自分の体と心を信じて。
喜ばしいことに、味覚と臭覚が戻ってきました。
早く焼肉を食べに行きたいですね~