パリオリンピックの開会式、私的には最高でした!
もうね、パリ全開!!って感じで。
独創的で、批判もあるかもしれないけれど、そんなことはお構いなしの演出に、心から拍手を送りたいですね。
こう思うのは、やっぱり昨年、パリに行ったから。
行ってなければ、批判的な気持ちも少なからずあったかもしれない。
やっぱりね、食わず嫌いがいろんな思考や成長を妨げるんだなあってつくづく感じますよ。
まずはその国を訪れてから、批判はその次に。
これは私の経験から。
だって私も、初パリの前は、相当フランスを毛嫌いしていましたからね。
これが井の中の蛙ってやつです。
日本人にとって、受け容れがたいのは、あのマリーアントワネットの生首演出でしょうか。
あの斬新な表現、日本人とフランス人とでは、評価が真っ二つに分かれるでしょうね。
ベルばらを熟読した世代を筆頭に、日本人にとっては、マリーアントワネットは時代に翻弄された悲劇の王妃ですから。
実際に私も、コンシェルジュリーへ行ったときには、その哀しい末路に胸が痛みました。
でも、あの開会式の生首を見たときに、これがフランスの力と誇りなのだと、目が覚めるような思いでした。
マリーアントワネットは、悲劇の王妃なんかじゃない。
彼女を葬ったことは、このフランス国民が団結して自由を勝ち取った、意味のある快挙であったんだと。
それは誰がなんといおうと、この国民はそう思っているんだと。
あの激しいロックの演奏と、血が噴き出したかのように真っ赤に染まったコンシェルジュリーの見事なマッチング。
ガツンとした衝撃と共に、私もなぜか妙に気持ちが昂ぶりました。
今を生きているんだというメッセージとして受け取りましたね。
そして最後の、セリーヌ・ディオンの熱唱には、感動しました。
フランス人がこよなく愛して、誇りの象徴でもあるセーヌとエッフェル塔のコラボに、あの美しさと力強さのある歌声。
他の大会のように、花火が上がることもなく、エッフェル塔の静かな美しい光で、大会の幕開けを宣言していました。
何もかも、その独自性にあっぱれと言いたい。
オリンピックの開会式を全部見たのは初めてのことでした。
日本にあの独自性を貫く覚悟があるか。
少なくとも、自国を愛する気持ちがなければ、その覚悟は芽生えませんから。
愛国心とはまた多少違う尺度となってしまうかもしれませんが、こんなデータがあります。
日本、断トツの1位なんですね。
これ、注目するべきはもうひとつ。
「わからない」も1位だということ。
自分の意見を明確に表示できない、あるいは明確に持てないこと。
そして、誰かの呼び声に従うこと。
これが「日本人」を物語っているんじゃないでしょうか。
だからこそね、他国の独自性がどうしても性に合わないのでしょう。
日本人には日本人のいいところがある。
それはもちろんその通り。
独自性を好まないのもOKです。
その上で。
ろくに知らないものを批判するのも、恥ずかしいことだと気づいてほしいですね。
それは私自身も、今後も肝に銘じていきたいと思っています。