南海トラフと思いきや、それではない地震も2日前の夜にあって、久し振りにあの緊急地震速報の音を聞いて、それでパニクりました。
ちょうどスマホを握っていたので、けたたましいあの音に、一瞬何が起きたのかわからなくて。
こちらの地域では、それほどの揺れではなかったですが、本当にいつ大きな地震が襲ってきてもおかしくない毎日なんだと実感しました。
やっぱり備えておくことは大事。
昨日の夜は、娘とふたり、リビングのテーブルに潜る練習をしました。
我が家には娘が大事にしているワンちゃんがいます。
でも、この子も一緒にテーブルに潜らせたら、もういっぱいいっぱいで。
これで息子が帰ってきたら、明らかに誰かが犠牲になりますね・・
ここ数日の雷もすごかった。
12階のマンションの大きな窓から見える稲妻のパノラマショーは、最恐でしたね。
元日からはじまった地震への恐怖、異常な猛暑、ゲリラ豪雨。
日本列島は危機的状況。
でも人間は、自然の中で生かされているわけですから、こればかりは何の抵抗もできないということです。
地球上でどんなに威張っても、サバンナの動物や地面を這う虫たち同様、この自然の力に歯向かうことはできません。
パリオリンピックも、もう終盤というところでしょうか。
4年に一度の祭典、ほころびの穴を見つけて突っつくよりも、楽しんだもの勝ちだと思う方がいいですね。
そう、人生は楽しんだもの勝ち。
悲観するより、攻撃するより、楽しむことを優先しないと、いつ何時立ち上がれなくなるかわかりませんから。
他人や何かの出来事のアラを探して、何度も何度もいじめのように突っついて、何が楽しいのかさっぱりわからないということが、最近は本当に多い。
アホらしいです。
自分の人生、懸命に生きてたら、自分に関わること以外はそれほど気にならないと思うんですけどね。
還暦の私からしても、不治の病を宣告されている息子からしても、自分の大事な人生の時間を、無駄なことには使うのはもったいないですから。
ここからは、少し吠えさせていただきます。
オリンピック陸上のライルズ選手が、コロナに感染していながら競技に出場していたということ。
日本なら大騒ぎというところですが、ヤフーの記事では、やり玉に挙がるかと思いきや、以前とは違い、選手を擁護する声の方が多い気がしました。
だってね、オリンピックを見れば、一目瞭然じゃないですか。
コロナに怯えている人なんて、誰もいない。
世界はもうとっくに、次の時間で生きています。
一昨年、サンフランシスコの空港に降りて、送迎車でホテルまで行ったときに、ドライバーにマスクをしたほうがいいかと聞いたら、驚かれました。
そのときには、アメリカではすでにコロナが終わっていました。
そこから2年。
世界を全部知っているわけじゃないけど、おそらく、未だに第〇波だのマスクだの、飛沫感染だのワクチンだのと言っているは日本人だけなんじゃないかと。
わかりますよ。
相当喉が痛いし、肺炎になったら怖いし。
コロナも風邪もインフルも、大なり小なり、罹ったら苦しい感染症。
できることなら誰だって罹りたくないですから。
怯える気持ちは、私にだってあります。
でもね、怯えるがゆえに、普通の生活ができない。
そのうえ、周りに何かを求めたり責めたりするのは違うかなって思います。
感染症は感染するんです。
でも、発症するかどうかは自分次第。
日ごろの注意や努力、そして免疫力を高めるしかないんです。
他人や環境のせいじゃない。
自分がそのウイルスに負けてしまっているだけのこと。
勝っている人の方が大半なんですから、負けない自分になることしか方法はないわけで。
持病がある、高齢だという人は、もうただただ頑張るしかないです。
地球上は、そういう環境なんですから。
大昔からウイルスはどこにでもあるし、これまでも、なんのウイルスにも感染しなかった人なんていないはずですから。
マスクについては、効果があるとかないとか、その辺は何もわからないですけど、私の考えを言わせてもらえば、マスクをして口呼吸になるなら、しない方が圧倒的に体にはいいと思っています。
鼻呼吸をして、鼻毛や粘液でウイルスを防いでくれる方が、断然安全ですからね。
それと、鼻は脳のサーキュレーターの役割を果たしているらしいです。
先日、テレビでも同じようにサーキュレーターの話をしているドクターがいらっしゃいました。
このテレビに出演された方も、上に引用させていただいた歯科のドクターも、マスクについては一切触れてはいません。
でも、こういう話を聞けば、万能な鼻をマスクで覆ったら、せっかくの役割を果たさなくなるわけで、自分の体に自信のある人以外はマスクは外す方がいいということになるんじゃないでしょうか。
日本人は、ずっとその逆の生活をしているから、いつまでもコロナや他の感染症に縛られているんです。
声を大にして言いたい。
オリンピックを見て思うでしょう。
普通の生活をしたいのなら、これまで通りの生活に戻すこと。
感染症は罹って強くなります。
怯えなくてはいけない感染症と、怯えなくても自分が勝ってきた感染症の違いを、もうわかってもいい頃じゃないでしょうか。
コロナワクチンを打つか迷っていた時に、SNSでやりとりしていたアメリカ人に相談したことがあります。
日本では、周りの人のために打てとCMでも言われているんだと話すと、驚かれましたね。
ワクチンは、自分のために打つものだと。
自分が苦しまないように。
だから、打つか打たないかは自分が考えるべきで、決して誰かの為じゃないと。
コロナ禍で多くの人が、周りへの配慮とかルールとか、そういうことを口にするようになりました。
思いやることはとても素敵なことですが、それが強すぎるとただの強制です。
思いやることを他人にばかり求めて、それに甘えることよりも、自分を強くすることの方がはるかに効率的。
それにね、「私に配慮して」とか「私に優しくして」とか、普通の状況ならちょっとドン引く思考なはず。
社会的弱者でない限り、人に求める前に、自分で何とかするしかないですからね。
それとね。
やっぱり吠えたい相手は、メディアですね。
ま、メディアと言っても、腹が立つのはこたつ記事。
このこたつ記事って、ほんとどうにかならないものでしょうかね。
例えば、ヤフーニュースを見ると、上の四角に囲まれた記事の下にずらっと並んでいる記事とか。
こたつ記事とは、取材もせずに、テレビ番組やSNSなどの情報をもとに作成される記事のことで、クリック数が作成者の収入になるということです。
だから、今話題のワードを組み合わせて、何度も何度も繰り返し使えば、自ずとクリック数が増えることになります。
昨年の夏なんかは、甲子園での慶應義塾高校の応援歌のボリュームが話題になり、まあそういった記事で埋めつくされ、コメントが異常な数で溢れていました。
最近も、タレントの不倫なんて、格好の的。
何度もいくつも同じような記事が並んで、多くの人がクリックして読んで、こういった記者の収入を増やしてあげています。
こんなのは、昔あった近所のおばさんたちの井戸端会議と同じ。
毎日毎日、こんな記事にコメントして、とめどなくうわさ話に没頭して、何が楽しいのか。
いや、自分がかかわっていることなら私も熱弁をふるいますが、そうじゃないことなら、まったく要らない情報です。
先程の鼻の話とか、オリンピックの感動話とか、フランスの歴史とか、税金や保険の話とか、そんな自分の為になる話題なら、延々と続けてもらっていいんですけどね。
こういう儲け主義の井戸端会議記事を並べることは、まったくもって日本人の質を落としている原因のひとつだと感じます。
なにはともあれ。
人の一生は限られていて、楽しんだもの勝ちだと思います。
どんなふうに生きるかは、自分で選んでいくのもの。
オリンピックに便乗して言うならば、勝つ人生にはならないかもしれないけれど、負けが続く人生にはしたくはない。
人生の勝ち負けは、誰がなんと言おうと自分がジャッジするものですから、少しでも自分の思うところの勝利を目指して、しっかり挑んで終えたいもの。
この地球という星で生かされているちっぽけな人間の、精一杯の命の時間を大事にしたいです。