旅行記の続き・・ではなく、ちょっともやもやがあり、書き込みます。
私の住んでいるマンションは、60世帯ほどの小さなマンションです。
管理人さんもひとりで、夕方にはお帰りになります。
これまでも3人ほど管理人さんが変わりましたが、昨年末からは現在の管理人さんがご病気だということで、数人の方が交代で担当されるようになりました。
復帰までの応急措置らしいのですが、おそらくこの体制がしばらくは続く気がします。
前の管理人さんは、あまり掃除しているところなどは見なかったので、それはそれでちょっぴり不満がありましたが、まあ仕方ないだろうとやり過ごしていました。
そして交代制で複数の管理人さんが来られるようになってからは、皆さん恐ろしいほど掃除をされ、娘ともすごくいいことだねえと話していたのです。
ところが。
先月あたりから、ある管理人さんの日に、必ずゴミ置き場の外扉が全開になっていることがわかりました。
今までそんなことは一度もなかったので、なぜ扉を開けているんだろうと不思議に思っていました。
数週間様子を見ていましたが、その方は、掃除をするときだけではなく、ずっと何時間も開けっ放しにしていることがわかりました。
今は冬だからゴキブリも虫も入らないかもしれませんが、ネズミやカラスなどはいつでも入ってきます。
通りに面しているので、不法投棄もあるかもしれません。
だいいちなぜ、どこのゴミ置き場もきちんと囲いのある置き場にしているのかと言えば、荒らされないためです。
なのに、なぜ開けておくのか?
この状況を発見してから、ずっと悩みましたが、私はゴキブリや虫が大嫌いだし、カラスで荒らされている置き場も見たことは何度もあるし、ネズミなんかが入ってマンションで増えてしまったら、もう資産価値なんか下がりまくりだし・・と悪いことしか思い浮かばず、思い切ってそのことを管理人さんに聞いてみました。
「開けっ放しにしておくのはなぜなんでしょうか・・」
かなり下手にやわらかく聞いてみると、70代と思われるその男性、「換気のためですよ」とのこと。
「今までの管理人さんは閉めていたので、カラスやら虫やらの侵入もなかったし、知らない人が入ってきたりということもないので安心していたんですけど・・。やっぱりちょっとそれが怖いので、閉めてもらえたらありがたいんですけど・・」
こんなふうに、恐る恐るお願いしてみました。
すると、おじさん。
「私はね、あちこちで管理人をしてきて、いつもゴミ置き場は開けっ放しにしていますが、これまで一度もトラブルがないです。朝一番で開けて、お昼の収集までの3時間くらいですけど、もしもその間に、カラスが入って荒らしたら、すべて私が責任をもってきれいにしますから」
と、キリっとした口調で言われてしまいました。
「入っているのを見たことはないんですよね?」と逆に聞かれ、それは無いと言うと、何かあったら言ってくれと、これ以上取り付く島もないといった状況でした。
それで、しばらく考えたのち、住民としてこのあたりの虫やカラスの事情を一番よく知っているので、どうしても不快感や不安な気持ちのほうが強くて、管理組合会社の担当に電話をしてみました。
まあ、私のいい方もミスったのかもしれません。
「管理人さんがゴミ置き場のドアを開けっ放しにしているので、閉めるように言ってもらえますか?」
と、単純に依頼すればよかったのです。
それをやたら下手に、
「管理人さんのやり方とかもあるでしょうし、私個人の意見でもあるので、どうなのかなって思って・・」
なんて言ってしまったものだから、
「数日後に理事会があるので、そこで議題に挙げてみます」と言われ、「お願いします」というやりとりになってしまいました。
そう返事したものの、きっとこんなことはどうでもいいこととして扱われるだろうなあと、予想はついていましたが。
理事会は、毎回役員数人くらいしか集まらないし、私自身はこの日予定もあったので、すでに欠席で委任状を書いていました。
管理会社からその後の連絡は一向になく、おそらく「まあ、開けっ放しでもいいんじゃない?」ってなったのだろうと推測はできたのですが、念のために電話を入れてみました。
「理事会でどうなりましたか?」
「ああ、その件は、みなさん、それでもいいんじゃないかって。何かあってから考えましょうってなりました」
それを聞いたときに、私の中で何かが発動してしまったんです・・
「何かあってからって・・何かあってからじゃ遅いんじゃないでしょうかねえ」
そのあとはもう、当たり前のようにかぶっていた猫を放り捨ててしまったんです。
「数年前に臭気がこもるという理由で、大きなエアコンを設置しましたよね?換気が理由なら、ゴミ収集車が収集している間に、充分にそれはできるはず。だいいち、これまで安心して生活してきたものを変えたがっているのは管理人さんのほうなので、私の意見を議題に挙げるのでなく、閉めていたドアを開けっぱなしにしてもいいですか?と管理人さんのほうから議題に挙げるべきなんじゃないでしょうか?順番が逆だと思いますけど!」
担当者は、猫のようだった私のあまりの豹変ぶりにおどろいていましたが、なるほどと言った後、最後は妙に冷めた口調で、「じゃあ閉める方向で・・」と言って、電話を切りました。
それがまた、嫌な感じで、かなりムカついて。
でもそのあとは、ああ、言っちゃった、やっちゃった・・って。
私が悪かったのかもしれない。
強引だったなあとか、やっぱり社会不適合者なんだろうとか。
集合住宅に暮らして、管理人さんにいろんなことをお任せしている以上、目をつぶることも必要だとはわかっているんです。
そして、理事会にかけた以上、その結果がすべてであり、それに文句をつけることはいけないこと。
まあ、今回は臨時で挙げられた議題で、都合が付けられなかったのもありますから、次回もしもこれが議題に挙がったら、出席して意見を言おうと思っています。
でもね、この案件、そもそも、管理人さんが、私の依頼を突っぱねてしまっていること、これが発端だと思うんですよ。
少なくとも住人が困っていることに対して、管理人さんは自分の主義を貫くのでなく、管理会社に連絡して話し合うことがこの件の正解なんじゃないかなって。
少なくとも私はお願いをしに行ったのですから。
しばらくは落ち込みました。
私のこの協調性のなさ。
60代になっても変わらない。
でも単純に不思議に思うのは、こうなったらどうするのよ?という不安や疑問を、他の人はどう片付けているんだろうということ。
ドアが開けっ放しということに、不快感がゼロだという人は除いて、少しでも、なんか入って来たら嫌だなあと思う人は、その気持ちをどこに捨てているのか。
私は、自分や家族に害がありそうだと思うことには、かなり敏感。
過敏すぎるのかもしれませんね。
その昔、息子が小学校に入学したときに、通学に付き合ったことがあります。
通学には小学生の足で、50分ほどかかるのですが、通学路とされている道が、交通量の多い、狭くてくねった道で、センターラインも歩道分離ブロックもなくて。
それまでも車ではよく通っていましたが、すれ違うのがやっとの、車にとっても歩行者にとっても、決していい道ではありません。
毎朝のように学校まで自転車を押しながら登校班と息子に付き添っていましたが、服の裾を車がかすっていくような危ない状況を目の当たりにして、1か月ほどしてから、学校に申し出ました。
あの道は、あまりにも危険ですから、別のルートを考えてほしいと。
ところが学校側は、他に目ぼしい通学路がないという理由で却下。
通学班の上級生の複数の親にも掛け合いましたが、遠回りになって登下校に時間がかかるし、これまでも何も事故はなかったのでと言われ、一様にやんわりと却下。
それなら仕方ないと、私は息子を安全な通学路を通る班に入れてもらうことにしました。
おそらく私が知らないだけで、当時は陰口のようないろんなことを言われていたと思います。
でも、あの危険な通学路を、あなたたち一度でも歩いてみたの?と言いたかったですね。
そして数年後、やっぱり事故が起こりました。
死亡はしなかったようですが、登校中の小学生が車にぶつかったと。
それ以来、通学路は変更になったらしいです。
犠牲が出て、はじめてそれを検討する、変更する。
予想がつくものなのにね。
以前埼玉で、ドカ雪が降ったことがあり、その時私は車庫に積もった雪をホースの水で落としていました。
それよりも前の年に、自転車置き場の簡易的な屋根が雪の重みでつぶれてしまったことがあり、それを私はよく覚えていたので。
車庫の屋根の雪を懸命に落としている私を見て、夫はケラケラ笑っていました。
近所の人たちも、それを見ていても何もしていませんでしたが、結局翌日になって、我が家以外、ほとんどの家の車庫の屋根がつぶれてしまい、下に停めていた車までつぶれている家もありました。
今回の件で、そんなことも思い出しました。
のちに憂いたくはないこと。
間違いたくはないこと。
お金にケチであること。
これが私の心配性を作り上げています。
心配性がリスク回避になることは、必ずあります。
でも、そのリスクヘッジの発想や言動が、同時に誰かの憂いになるということもわかっています。
このバランスって、本当に難しいことだと思います。
予想できるリスクは回避するべき。
でも心配しすぎたり、決めつけすぎたりは迷惑なこと。
だって、リスクとされる事案だって、誰にでも平等に起こりうることでもないし、感じることでもないから。
まあね。
言っちゃったものは仕方ない。
次は迷惑をかけないように、しばらくは静かに口を利かず、できるだけ善人として暮らしたいと、勝手に反省をしているところです・・