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母が逝く

母が亡くなりました。

 

先月30日の朝、姉の携帯に父からメッセージが入っていて、それに姉が気付いたのが昼頃。

そのあと私に、姉から電話がありました。

私は両親の電話が通じないようになっていたので、そういう情報は姉からでしかありません。

訃報を聞いた、私の第一声は。

「マジか・・」

それ以上の言葉は出なかったし、続きませんでした。

その後、姉に確認するように、

「お母さん、死んだのか・・」

言葉を噛みしめるようにして、ゆっくり天井を仰ぎました。

何とも表現しにくいけれど。

ただただ、終わったんだなあ・・とそういう思いでした。

 

世の中には、いろんな親子関係があるものですが、本人たちにとっていい関係か、あまりいい関係じゃないかとふたつに分けるとしたら、私の場合は明らかに後者です。

ずっとギクシャクとした関係でしたが、昨年からは両親とも一切のやり取りがありませんでした。

今年に入ってから、入退院を繰り返していたらしく、最後は父も間に合わず、病院でひとりきりで息を引き取ったそうです。

母が最期にどんな気持ちで、この世に別れを告げたのか。

そう思うと、ひとりの人間としてわずかに心が重くなりますが、母の心の内に寄り添うことも理解することも難しいため、それを想像することは今後しないことに決めています。

 

連絡のあった翌日、父の住む市営住宅に姉とともに向かいました。

この日の朝、どうやっても体が痛くて、更年期障害の時のようなこわばりも感じました。

体は正直ですね。

私は全身全霊で、母のところに向かうのを嫌がっていることがわかりました。

高速を使って、2時間ほどで到着。

あれほど家にこだわり、立派な職に就いていた父でしたが、何度も何度も引越しを繰り返したあと、母との終の棲家がこの築50年のカビだらけの部屋でした。

その流れをつくったのが母であることは、母以外の全員がわかっていたものの、それを誰も止めることができませんでした。

私たちが着いてからすぐに、父と3人で母のところへ出かけました。

母の遺体は、葬儀会社の安置所にあります。

姉は遺体と対面しましたが、私は手を合わせただけで外に出ました。

もしも顔を見てしまって、母への何らかの後悔が私を支配するようなことになったとしたら、私は一生苦しまなくてはいけませんから。

心の中での母との別れは、当の昔に済ませていますし。

 

安置所から市営住宅に帰り、なんとその後は、父と3人で引越しの準備です。

実は昨年の内に、両親は施設に入居する契約を済ませていたようで、母の葬儀の前日に引越しが決まっていたのです。

契約してから母は具合が悪くなり、とうとう入居できずに亡くなりました。

まさか、引越しと葬儀が重なるとはだれも想像できなかったこと。

 

母の遺言のようなもので、私と姉は葬儀には出られません。

まあね、葬儀と言っても火葬式なので、安置所でお別れをしたあと、火葬場ヘ行くというだけのシンプルなもの。

父と私の弟だけで送り出すのが、母と弟の希望だそうで。

一応、私も姉も喪服は持ってきていたし、私と姉の家族も忌引きを取っていたりしたのですが、最終的には、私たちに邪魔をしないでほしいという弟の希望が優先されました。

まあね、姉は長女として役目を果たしたかったようですが、私はハナから参列する気持ちが無く、自分がそこに居ることの想像すらできずにいたので、この決定に異はありませんでした。

なので、ここからは父の引越し作業に目的が切り替わりました。

あと3日間で、荷物をまとめ上げなくてはなりません。

父は、荷造り以外の手筈は整えていたので、なにしろ荷造りです。

夫の両親が他界したときも、その荷物の多さに驚きましたが、私の両親も同じくで。

捨てて捨てて、捨てまくりました。

その日の夜に、夫と娘が施設に渡す菓子折りを持ってきてくれて、その晩は5人で、料理屋を予約して食事をしました。

私の家族に20年ぶりかで会えたことで、父もお酒を飲みながら泣いていました。

落ちぶれながらも、あの母に寄り添い、最後まで面倒を見てきたこと。

自分は頑張ったと言って、ひたすら泣いていました。

私も姉も泣きながら、父を褒めました。

お父さんほど頑張った人はいないよ・・

争いが嫌いで、どうしても母に引きずられていくしかなかった父を、バカだとかだらしないとか、ずっと否定してきました。

それでも、父の苦労はわかっていたので、今はただただ父を褒めて、これからは堂々と助けていってあげようと決めました。

母が亡くなったことで、私は一切泣くことはなかったけれど、この晩はじめて心の内を吐露した父には涙が出て、姉も号泣していました。

夫も娘も、こういった内情は知っていたので、この光景を暖かく見守ってくれていました。

翌日、どうしても外せない仕事がある夫は帰り、娘と私は近くの保養所のような宿に泊まり、姉は父と一緒に市営住宅に泊まりました。

 

娘の手伝いもあり、なんとか荷物もまとまり、無事に引越しを終えました。

私も姉も自分の家に帰り、父は昨日から施設暮らしが始まり、今日は母の火葬式です。

私たちには想像もできない気持ちを抱えて、父は母を今日見送るのでしょう。

そして私は。

心には何も波が無く、普通にこうして過ごしています。

そういえば今回、姉とは何十年ぶりかで宿で温泉に入り、たった一泊だけどゆっくりふたりで過ごしました。

いい機会を与えてもらえたこと、母にはそれを感謝しています。

 

宿から父の市営住宅に行く道沿いに、桜並木があり、その奥には神社もあり、少しだけ寄り道をしました。

思いがけず、満開の桜を見ることができたこと。

これも感謝です。

 

母へ。

生んでくれてありがとう。

母でいてくれて、ありがとう。

生きづらかっただろうけれど、87年間、お疲れさまでした。

 

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