ただ寝るだけの旅館から早々に切り上げ、予定の9時出発より30分ほど遅れましたが
中尊寺へと向かいます。
旅館からは本当にわずかな距離です。
本日の予定は、中尊寺のあと北山崎方面へ向かい、その近辺での宿泊ということになります。
中尊寺へは、3人ともに2度目。
前回は息子が4歳、娘がまだ2歳くらいのころだったと思います。
あの頃は家族と出かけることをそれほど苦にはしていなかった夫も含めて、4人でこの地に訪れました。
この4日目からは、私がもういちど行きたかったという理由で、前回とほぼ同じような旅程になります。
前回の旅は、当時幼子を連れてのはじめての遠出ということもあり、私の心にしっかり残っていました。
ただ、旅行嫌いの夫が一緒だったので、ゆっくりと堪能することができず、不完全燃焼という印象もあり、今回はそのリベンジという位置づけでもあります。
しかしながら。
まだまだ小さくてかわいくて、コロコロと走り回っていた2人の子どもが、成人して私と再びこの地を訪れてくれたことに、本当に感謝です。
そういう意味で今回は、非常に感慨深い旅となりました。
さて中尊寺に着き、坂の上の駐車場に停めることにしたのですが。
中尊寺は坂をのぼって、ひたすら歩いた記憶があり、今回もそれをしたかったのに、坂の上まで車できてしまったことになります。
坂の上の駐車場は、本堂のあたりになり、これでは月見坂から歩いていくことができないということで、一旦、月見坂の方へ戻って歩いたというお粗末ぶり。
今回の旅行は日本だということで高をくくって、下調べをほぼせず、結構不出来な旅となりました。
日本でも海外でも、いい旅にしたければ、準備はしっかりしておくべきですね。
この日は朝から雨が降っていて、駐車場に着いたとたんに大雨になり、すこし様子を見て車を降りました。
朝10時ごろの参道。
誰もいません。
月見坂の方に降りていきました。
誰もいません。
ひとりじめの景色です。優雅ですね。
中尊寺の再訪は、ただ懐かしいというだけでなく、もうひとつ目的がありました。
中尊寺の境内の中に、峯薬師堂というお堂があり、ここは目にご利益があると言われています。
本堂の脇にひっそりと建っているこのお堂には、のぼりに目のマークがたくさんあって、前回それを見て思わずお参りをしたという経緯があります。
実は娘には間欠性外斜視と言って、右目の黒目が外側にするっと動いてしまう病気があり、1歳前後からその症状が少しずつ見られ、次第に顕著になり、小学2年生で手術を受けました。
手術して、大人になるにつれ、見た目ではほぼわからなくなりましたが、本人はやはり今も片目の力だけで見ることも少なからずあるということです。
これはこうして一生続くものなんだなと、親子で観念はしています。
当時も娘の斜視は、四六時中私の中に悩みとしてあり、前回中尊寺でこののぼりの目のマークを見つけたときには、吸い込まれるようにしてお堂に入っていきました。
その時に赤い小さな小さな巾着型のお守りを買い、今回はそのお守りを納めに行くつもりでした。
記憶を頼りに、のぼりを見つけ、お堂の入り口にある授与所の女性にその話をし、古い赤いお守りを預けました。
とてもやさしく、温かな雰囲気のその女性は、18年ぶりの再訪をとても喜んでくれ、娘としばらく話をしていました。
私と息子はその間にお参りをして、私は娘の目の負担が軽くなるようにと、そしてまた生きているうちに再再訪できるようにとお願いをして、手を合わせました。
また娘とともに、ここに来れてよかった・・
降っていた雨はやみ、濡れた境内はそれはそれでとても美しいものでした。
本堂にお参りした後は、金色堂に向かいます。
以前来たときは5月で、人も多く、建物内にある金色堂も、遠目にしか見れませんでしたが、今回は人が少なく、目の前でじっくりと見ることができました。
残念ながら写真撮影はできませんので、公式サイトの写真を貼ります。
実に見事で、この東北の地で栄華を極めた奥州藤原氏の力を感じることができます。
そしてこれも、4代当主の時に終わりを告げることになります。
栄枯盛衰。
時代も人も、こうして決まった道を歩んでいきます。
金色堂を出て散策すると、松尾芭蕉の像もありました。
芭蕉は江戸から東北へ旅立ち、この平泉で有名な句を詠みます。
「夏草や 兵どもが 夢のあと」
そしてこの像の横にあった句です。
「五月雨の 降りのこしてや 光堂」
義経を想い、藤原氏を想い、芭蕉はこの句を詠んだのでしょう。
芭蕉の有名な「奥の細道」の冒頭は、よく覚えています。
「月日は百代の過客にして 行き交う年もまた旅人なり」。
そして、「日々旅にして 旅をすみかとす」。
いやいや、憧れました、中学生の時分。
これを国語の教科書で見たときには、胸が躍った記憶があります。
人生は旅であり、旅が自分の住処だと言ってしまう芭蕉に、強烈に憧れを持ちました。
こんなふうに生きていけたら、どんなに幸せなんだろう・・
でもそこは、きちんと現実を知っている中学生でもある私。
卒業文集の将来就きたい職業欄に「長距離トラックの運転手」と書きました。
働くことと夢を追うことをしっかり合体させている自分。
今から思うと、なんて微笑ましい(笑)
金色堂を見て、周辺を散策して、その後はゆっくりと駐車場に向かいます。
2度目の中尊寺。
本当に来てよかったし、ふたりに付き合ってもらってうれしく思います。
またいつの日か3人で来れることを信じて。
さて、中尊寺を後にした私たちが向かうのは北山崎です。
北山崎は三陸海岸の景勝地のひとつで、断崖絶壁が続く海岸線として有名な絶景スポットです。
以前は景色など何の興味もない夫が一緒だったので、下の展望台までいかず、心残りがありました。
今回はそのリベンジです。
中尊寺からは非常に遠く、車で3時間半ほどの距離。
まだ明るいうちに北山崎周辺の旅館に着きたいので、車で急ぎます。
向かう途中で、大きな山が見えて、少しだけ雪もちらつきました。
途中からは何もない寒々とした景色になり、湖が現れました。
岩洞湖という湖です。
このあたりは、本州一の最低気温を たたき出したところとして有名のようです。
トイレ休憩でレストハウスに寄りましたが、夕方近くにもなっていたので、もうただただ「空気が冷たい」という表現しかできませんでした。
中尊寺から長い時間をかけて、ようやくホテルに到着。
今宵のホテルは「ホテル羅賀荘」。
海沿いに立ち、ロケーションは抜群です。
お部屋からは海も見えます。
でも、なんと・・
洗面とお風呂が一体化している二点セパレート!
日本の旅館でこれは驚きでした。
実にはじめての経験です。
どこかのアパートに泊まりに来た感覚。
娘がまた口を利かなくなりました・・
鮑ということで愉しみにしていた食事も。
鮑は非常に小さく、お刺身もスーパーで買ってきたレベルだと感じました。
まあ、仕方ない、仕方ない。
ここも寝るだけのホテルだと言いきかせて。
でも、目の前が海というのはいいです。
翌朝、出発前にホテルの前を散策しました。
静かで、人気も少なく。
何も予定を入れずに、ただぼんやりと海を眺めるというのには最高の場所で、ただただゆっくりとできます。
昨晩の宿同様、目的を別に定めれば、料金的にも優しく、いい宿ではないでしょうか。
さて、旅も終盤になりました。
5日目は北山崎からはじまります。