明日はクリスマスイブ。
娘とふたりで都内でランチをして、丸の内あたりでやっているクリスマスイベントを見て帰ってきます。
ここ数年は、娘とふたりで過ごしていますねえ。
私はともかくとして。
娘、それでいいのかい?
今年は史上はじめてでしたが、大掃除がほぼ終わっているんです。
あとは仕上げに、普通の掃除をして終わりという完璧な状態になっていて。
部屋の大改造をしたので、それと一緒に掃除をしてきたから、本当に気分が楽です。
そのせいなのか、これからなのかはわかりませんが、右手の腱鞘炎らしきものが悪化してきていません。
兆しは感じているんです。
なんかおかしい、なんか痛い、そろそろくるかなって。
その状態のままが、しばらく続いています。
頼む、これでおさまってくれ~と祈る思いです。
思えば、この1年も、ずっと自分の体と向き合ってきたなあという感じですね。
春に健康診断があるので、それで今の自分のコンディションがわかりますし、年に2度ほど別の機関で腎臓の数値を注視しています。
このマンションに3年前に引っ越してきてから、自転車で転んだあの一件。
非常に痛い出来事でしたが、実はあのおかげで、今までの自分の生活を見直すことができたというわけで。
あの事故が無ければ、未だに大量に飲んでいた薬と炭酸飲料を断つことができなかったかもしれません。
自分の体に向き合うきっかけを、つくってくれました。
私は子どもたちが生まれて、子育てに悩んだときに、この子どもたちを育てるプロになると決意しました。
誰がどんなことを言っても、この子たちの母親は私だけだし、この子たちのことを誰よりも知っているのは母である私なのだから、どんなマニュアルに従うよりも自分の決断を優先しようと決めてきました。
もちろん、情報も大量に取り入れて、自分の中のザルで精査して、それは活かしてきたつもりです。
そして、今度は自分の体です。
自分の体も自分が一番のプロだから、自分で決めていこうと考えています。
少し前に、若い女性作家がテレビに出ていて、自分の乳がんの体験談を話されていました。
彼女はカナダに住んでいて、ある時乳がんの宣告を受け、その経験を「くもをさがす」という本にしているということ。
彼女がテレビで話していた内容が、私の考えにとても近くて、勝手にお仲間に感じました。
日本と違いカナダでは、がんと判ってからも3ヶ月も待たされるし、薬も自分で探して手に入れるということ。
医療も生活も、自分でできることは自分で考えて、自力で解決していこうという方針。
だからカナダ人たちは、自己管理力が素晴らしくて、自分の健康を保つようしっかりと日々努力をする。
自分の命を守れるのは自分自身だとわかっているから。
そして待たされるものの、医療側もプロ。
ぴたりと合った抗がん剤を投与してくれ、手術痕も見事なものだと。
私が素晴らしいと感じたのは、いつも飲んでいる漢方薬を服用し続けてもいいかと聞いたときのドクターの返答。
「あなたの体のボスはあなただ」
これに尽きると感じました。
医師がこう言っているからとか、世間がこう判断するからとか、それを選択の材料にはするべきだけど、最終の決定は自分ですること。
でもね、なかなか日本人にはこれが無理。
だってね、例えば夫のこと。
以前も書きましたが、もともと肝臓の悪い家系で、健康診断の数値もあまり良くない。
でも治療するほどでもなかったのに、前回の健康診断で尿酸値が高いのが気になり、ゴルフ仲間で痛風になった人の話をたまたま聞いて、怖くなって病院に駆け込んだ夫。
病院では、すぐに尿酸値を下げる薬を出してくれるけれど、これが肝臓にはひどく悪いもので。
あれから3か月ほど経っていますが、尿酸値はあっという間に下がりましたが、肝臓の数値は以前よりも悪くなって、今度は肝臓の薬を飲み続けている始末で。
こういうのが、日本人の典型。
私なら。
肝臓と尿酸値を天秤にかけて、肝臓を守りますね。
だって、尿酸値が高いのはずっと前からで、それで60歳になるまで痛風になっていないなら、この先も大丈夫。
薬以外の努力で、数値を下げることに徹します。
尿酸値が高いと、痛風以外の腎臓への影響が心配ですが、それが出ていないのであれば、わざわざ強い薬を飲んで、もともと弱い肝臓を傷めてしまうリスクの方が怖い。
そういう選択をできればしてほしいもの。
でも、私の話は聞かないのでね。
お前は医者なのか?と言って。
自分の体は自分で守る。
当たり前のことなのに、それができない人が多いのがこの国なんですよね。
だから、政治家だの医師会だの経済界だのといった、権力を持った人にいいようにされて、ただただ働きバチになってこき使われて、選択も主張もしないまま人生を終える。
30年もの長い間、賃金も上がらなかったこの国が、ようやく世界よりも数周回遅れて、目覚める兆しが出てきたかなという気がします。
自分の体、自分の生活、自分たちの未来。
守る年になるかしら、来年は!