先月の健康診断で、血液検査の際、はしかの抗体も一緒に調べてもらいました。
結果は「+」で、抗体があるということでした。
ただ、ちょっと疑問の残る結果ではありました。
今回夫も一緒に調べたわけですが、その抗体価と呼ばれる数値が、私の方が夫に比べて断然低いんです。
IgGという、はしかに対する免疫グロブリンの数値なのですが、これが16未満だと追加接種が必要だと言われるレベルであり、2未満だと2回接種しなきゃだめよということらしくて。
16以上だと、一応抗体としては充分だということなのですが、私結構ギリギリの19という数字。
これに対して夫は、45.9だって。
普通に考えて、夫の方が免疫力が高いってことですよね。
なんでこんなに違うんでしょうか。
この差はいったい何だろうと、ほんと誰かに聞きたい。
予防接種ではなく、自然感染の年代なので、当然ワクチンよりは強力な免疫。
でも、なぜか私は低い、しかも結構ギリ。
はしかは一度罹るともう罹ることは無いと言われているので、自然感染時代の私は、子どものときにおそらく罹患していて、今後罹ることは無いのでしょうが、それにしても数値の低さにちょっと不安。
年々、目減りしていくのかなあ。
としたら、もしかしたら、10年後には16未満になる可能性があるのかなあ。
そしたらワクチン接種することになるのかなあ。
まあ、考えてみればあと10年なら、70代が目前になるので、それほど固執することもないんですけどね。
なんでこうなのかよくわからないという状態がめちゃ嫌な私ですが、それよりも、夫に水をあけられたという悔しさの方が強い。
夫に負けてるなんて!
ここがほんと悔しい!
私はこうして、数字を見たとき、結果が出たとき、いろんなことを調べます。
血液検査をすると、こういった諸々の数値がわかり、それが私の体を作っているんだなあと改めて、人間の生命力とか、医学の必要性とかを感じることができます。
人間って、すごいなあと感じますね。
何かの数値が悪いと、それに乗じて、こっちも悪くなるとか、この機能がうまくいっていないからこの結果が出るとか。
科学なんだなあ、人の体って。
でもね、長年生きていると、数値では決定できないものもきちんとあることも知っています。
私は腎機能の数値が悪く、これは父方の遺伝だとずっと思っていました。
父方の祖母は腎臓が悪く、それに悩んで父を産んですぐに自殺をしてしまったということです。
父も腎臓があまり良くないと言っているのを聞いたことがあります。
だから私もそうなのかなあ・・そう思っていました。
ところが。
昨年、滅多に帰らない実家に行ったときに、母から衝撃の事実が。
母は小学生の頃、腎臓が悪くて、1ヶ月ほど入院していたというのです。
え、そんなの初耳。
あ、そう?
「あ、そう?」じゃないよ!
私の腎臓、どっちからも悪いの受け継いでいるんじゃん。
どっちからもって、結構強力じゃん・・
腎臓もさることながら、高血圧やら、尿酸値やら、ケガやら、目の不調やら、腱鞘炎やらで、ここ2年ほどは、目まぐるしいほど医者通いをしてきた私です。
でもね、最近ようやく悟りを開きました。
もうね、こんな数値には怯えずにいこうって。
だって、そんなに悩むなよっていう証拠のようなものがあるんですよ。
まずは、私の両親。
もう84歳。
腎臓悪いって言いながら、84まで生きているんです。
それで大人になってからは治療してきたこともなく。
それから、私自身の数値も、数年前の健診結果を見たら、その時の方が悪いんです。
でもその当時は、こんなに悩んでいなくて。
なんなら夫も、遺伝で肝臓の数値が悪いのですが、20代の頃は今よりももっと悪かった。
数値って変わるし、悪いっていいながらも、普通に生きていけてるんだ。
人の体って、非常によくできていて、ある程度の許容範囲があるんだ。
そう、前向きに考えることにしました。
数値に囚われて悩む方が、精神的なダメージになって、よほど体に悪い気がしますから。
年をとれば、数値が悪いのは当たり前。
あと20年持ってくれれば、それでいいわけですから。
心臓や脳に、ヤバい欠陥が見つからない限り、怯えずにこの体を存分に使っていこうと思いました。
そうでなくても、外部からの何かの力で、命を落とすことも普通にあるわけですものね。
ケガもたくさんしたし。
内部の力は、普通に寝て食べて、楽しいことを考えて、あとは信じるしかないんです。
ウイルスも細菌も、不安やストレスも、やっつけることが永久にできないのであれば、負けない自分を作るしかないですね。
息子の病気もそう。
勝つことはできない。
でも、負けない時間をできるだけ長く作ること。
数値はとっても大事だし、目安になる。
けど、数値に振り回されっぱなしの人生にはしちゃいけない。
健診の結果を見て、豊かに生きようと、改めて思った私です。