お笑い芸人の松本人志さんが今、世間を騒がしています。
2015年の話。
ホテルの部屋で、松本さんに性加害を受けたという複数の女性の証言による記事が出たということで。
私は、松本さんの出ている番組ではよく笑っていたし、相方の浜田さんの格付けも毎年楽しみにしていますが、でも仮に、彼らがテレビから消えてしまったとしても、何ら不都合はありません。
ただ、私よりもひとつ年上で、同じ時代を生きてきた彼らのお笑いの内容や世間に対する感覚などは、似たものがあったり理解もしやすかったかなあとは思っています。
敗戦国の日本が、豊かになっていく中で、なんというか、おそらく平和で自由で、ただ本能のままに青春を送った私たち。
男はタバコを吸い、酒を飲み、女を求め、女はそういう男の相手をしながら、着飾る。
当時流行った歌だって、「好きだ、愛してる」の男女の恋愛ばかり。
ユーミンの歌でゲレンデで恋をして、都会ではバブルで踊りまくって。
政治のこととか戦争のこととか、まったく興味も恐れもなくて、勝手にくだらん閉塞感に酔っていて。
今の時代から見れば、能天気でパッパラパーな時代だったなと感じます。
そんなお花畑感覚が、シュッと急激にしぼんで、あれもダメ、これもダメという時代になった。
テレビからはタバコのシーンや不適切な言葉は一切消えていき、赤信号をみんなで渡ることは絶対に許されなくなった。
芸能人が不倫なんてしたら、もう大変。
不倫は文化だなんて言ったら、孫の代まで白い目で見られることになる。
そう、私たちの世代は、うまくあたりを見ながら歩いていかないと、今、時代の迷い子になってしまう怖さがあるんです。
松本さんのような有名人は、いつも取り巻きに囲まれているために、一般人でさえ危うい時代の過渡期を見落としてしまったのかなと感じました。
いやね、往々にしてあるんですよ。
子どもたちと話しているとね、どうしてそうなるのかなあと思うときが。
子どもの方も、私と話していて、もうそういう時代じゃないんだよと口にするときもある。
先日、篠山紀信さんが亡くなりましたが、写真家として絶大な知名力のあった彼を、ヤフコメで非難している人をたくさん見かけました。
芸能人を脱がせて写真を撮ることが、今の時代には受け容れがたいということを、それではじめて知りました。
脱いだ芸能人たちが、実際はどういう気持ちでいたのかはわかりませんが、仕事だから嫌なことでも当たり前だというのが当時の一般庶民の受け止め方だったように思います。
私個人の話をします。
若い頃、だいぶかわいかったので(笑)、痴漢に合うことも度々。
電車で触られることなんて何度もあり、なかでもものすごいことがありました。
20代前半の頃、朝の通勤ラッシュの山手線。
席が空いたので、座って本を取り出しました。
池袋で、ざーっと客が入れ替わり、私の前に長いコートを着た、保坂尚希風の渋いイケメンが立ちました。
その顔を見てから、ふと視線を下に落としたときに、あまりの驚きで心臓が破裂しそうになりました。
出していたんです。
男は、長いコートのポケットに手を突っ込んで、立っている両サイドの人には見えないように、モノをコートで隠していました。
でも、座っている私の両隣の人には見えるはず。
ところが、右の人は本を読んでいて、左の人は寝ている。
それを確認して、明らかにピンポイントで私を狙っての犯行でした。
私があたふたしているのを楽しんで満足したのか、池袋から乗ってきたその男は、次の駅で降りて行きました。
数ある痴漢体験の中でも、あれは何とも言えない恐怖がありましたね。
だって、めちゃイケメンで、表情をいっさい変えずに、黙って立っているだけ。
だからこそ、怖さは倍増でした。
ああ、そう言えば、こんなことも。
私は高校生の頃から物書きになりたくて、20歳のころだったか、ある作家の家に話を聞きに行ったことがあるんです。
作家といっても、売れっ子なら今でも覚えているはずですが、ほぼ無名のような人。
どういう類の作家だったのか、なぜに行くことになったのか、場所が都内のどこだったのかも覚えていないし、家も顔も名前もすべて忘れているのですが。
話を聞いているうちに、布団に連れていかれそうになったんです。
ベッドじゃなくて、布団です。
それは唯一覚えています。
その時に、売れる女はみんなこうしてるんだぞ!と言われたのも覚えています。
そのおっさんを押しのけたときに、イヤリングを落としたようで、外に出てしばらくしてから気づきました。
不思議と、今から思い返してもイケメン痴漢の時ほどの恐怖もなく、なんなら片方のイヤリングが気になって、取りに戻ろうかと考えたほどで、なんてこったとつぶやきながら帰った記憶があります。
あんな気色悪いおやじに、何もされなくてよかったよ。
だけどさ、あんたバカだね。
なんでそんなヤツのところへ、ひとりでのこのこ行ったのよ!
昔の私に今の私がそう聞いたところで、何も答えが返ってきません。
痴漢にあったり、その他にもいろいろなことを経験していても、その男に何かされてしまうという恐れを、当時の私はまったく想像できていなかったんだと思います。
これがまさしくお花畑の力。
仮に、です。
仮に、この男に最後までの性加害を受けていたとしたら。
それでも、この一件で私の一生が変わってしまうような悲劇的な事件になったかというと、そんなふうには思えない図太い私が居る。
まあ、たらればの話で、おばちゃんになった今の私だからそう思えるのかもしれないですね。
その時の恐怖がすっかり抜け落ちているだけかもしれないし。
なにしろ遠い遠い昔のことなので。
まあ、他にも結構多くの事件がある私。
よくぞ、無事に生きてきたという感じですね(笑)
許されることと、許されないこと。
訴えたいこと、黙っておきたいこと。
それらに対する考えは、私たちの若かりし頃とは、大きく変わってきていると感じます。
今回の松本さんの件で、女性側の受けた傷をどう感じるか。
経験豊富な私のようなおばちゃんからすると、なんてことはないかもしれませんが、今の時代はそうではないということ。
そもそも、酒や女への欲を求めるがままに飲み会をしていること自体、昭和の匂いがして、アウトなのかもしれません。
あまりに早く代わった時代に、慌てて追いついていかなくちゃいけないと、ここで昭和女もひとり、強く感じている次第です。