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コロナ騒動についての私の意見

別のブログでは、新型コロナウイルスについて調べ、情報発信をしてきました。

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50代のひとりの人間として、大学生を持つ親として、この騒動により、世間というものがわかった貴重な体験になりました。

まあ、まだまだ過去形にするには早すぎますが。

ひと言で言ってしまえば、大方の人間は目の前に迫っているものをそのままきちんと怖がり、そして皆と同じ言動ができるのだということ。

そしてそういう人たちが一糸乱れぬ団結力で、歴史をつくっていくのだということ。

歴史の歯車というのは、止めることも回転を変えることもできないもの。

それをしようとするものは滅びるのだと、遠い昔にベルばらで読みましたねえ・・。

 

私は世間からすると非常に不埒な人間です。

今回の新型コロナウイルスを、それほど怖がってはいません。

怖がっている人を100%とするなら、私は15%くらいからなあ。

あまり怖がらない最大の理由は、ヒトのもつ免疫力を信じているから。

ウイルスと戦うのは免疫機能以外何ものでなく、それは絶対なのです。

そして、少なくともこのコロナウイルスには、ほとんどの人が勝てるという結果が出ています。

そりゃ、罹らないに越したことはありませんが。

ただ、生活の多くに制限をかけてまで恐れるほどのことではないと考えています。

じゃあ、死んでしまった人は?

重症化して苦しんだ人は?

そんな軽い気持ちでいて、他人に感染させたとしても平気なの?

そういう怒りの声が聞こえてきますが、私の考えに変わりはありません。

コロナウイルスでなくても、多くの病気で死ぬ人もいれば、重症化する人もいます。

他人を巻き込むのは、感染症以外でも、事故も事件もあります。

人間が生きていくうえで、周りの人との接触は不可欠であり、それはプラスのときもマイナスのときもあります。

プラスのときだけを選ぶというのは非常に難しいものです。

そしてラッキーなことに、今回のマイナス騒動は致命的である確率は低い。

それならば、経済的なマイナスであったり、大事なかかわりであったり、記念の行事であったりを捨ててまで、制限をかけることはないというのが私の意見です。

後に来る、コロナ不況のほうが私にとっては数倍怖いものなので。

 

何もわからないまま、何の情報もないまま怖がっていた時代と今は違います。

正しく恐れることをせずに、ただただ恐れているのは現代人のすることではないと考えています。

そして、ただ恐れるだけならまだしも、恐れるがばかりに周りを攻撃するという愚かさも、ウイルスと同じくらい蔓延している現況です。

 

イタリアの高校の校長先生の生徒へのメッセージが話題になりました。

 ――ヴォルテ高校の皆さんへ

 

 “保険局が恐れていたことが現実になった。ドイツのアラマン人たちがミラノにペストを持ち込んだのだ。感染はイタリア中に拡大している…”

 

 これはマンゾーニの「いいなづけ」の31章冒頭、1630年、ミラノを襲ったペストの流行について書かれた一節です。この啓発的で素晴らしい文章を、混乱のさなかにある今、ぜひ読んでみることをお勧めします。この本の中には、外国人を危険だと思い込んだり、当局の間の激しい衝突や最初の感染源は誰か、といういわゆる「ゼロ患者」の捜索、専門家の軽視、感染者狩り、根拠のない噂話やばかげた治療、必需品を買いあさり、医療危機を招く様子が描かれています。ページをめくれば、ルドヴィコ・セッターラ、アレッサンドロ・タディーノ、フェリーチェ・カザーティなど、この高校の周辺で皆さんもよく知る道の名前が多く登場しますが、ここが当時もミラノの検疫の中心地であったことは覚えておきましょう。いずれにせよ、マンゾーニの小説を読んでいるというより、今日の新聞を読んでいるような気にさせられます。

 

 親愛なる生徒の皆さん。私たちの高校は、私たちのリズムと慣習に則って市民の秩序を学ぶ場所です。私は専門家ではないので、この強制的な休校という当局の判断を評価することはできません。ですからこの判断を尊重し、その指示を子細に観察しようと思います。そして皆さんにはこう伝えたい。

 

 冷静さを保ち、集団のパニックに巻き込まれないこと。そして予防策を講じつつ、いつもの生活を続けて下さい。せっかくの休みですから、散歩したり、良質な本を読んでください。体調に問題がないなら、家に閉じこもる理由はありません。スーパーや薬局に駆けつける必要もないのです。マスクは体調が悪い人たちに必要なものです。

 

 世界のあちこちにあっという間に広がっているこの感染の速度は、われわれの時代の必然的な結果です。ウイルスを食い止める壁の不存在は、今も昔も同じ。ただその速度が以前は少し遅かっただけなのです。この手の危機に打ち勝つ際の最大のリスクについては、マンゾーニやボッカッチョ(ルネッサンス期の詩人)が教えてくれています。それは社会生活や人間関係の荒廃、市民生活における蛮行です。見えない敵に脅かされた時、人はその敵があちこちに潜んでいるかのように感じてしまい、自分と同じような人々も脅威だと、潜在的な敵だと思い込んでしまう、それこそが危険なのです。

 

 16世紀や17世紀の時と比べて、私たちには進歩した現代医学があり、それはさらなる進歩を続けており、信頼性もある。合理的な思考で私たちが持つ貴重な財産である人間性と社会とを守っていきましょう。それができなければ、本当に ‘ペスト’が勝利してしまうかもしれません。

 

 では近いうちに、学校でみなさんを待っています。

 

人間の免疫力というのは実に巧妙にできていて、ウイルスや細菌類が体内に入ると二重三重の備えで戦う仕組みになっています。

鼻水や咳や熱を出しながら、なんとか病原体をやっつけるように頑張ります。

細菌には抗生剤があり、それで撃退できますが、ウイルスに対しては死滅させる薬はありません。

あくまでも現時点で存在している、例えばインフルエンザのワクチンも抗ウイルス剤でさえも、ウイルスを死滅させるものではないということです。

すべては人間の持つ免疫力で戦うことになるんです。

ウイルスも必死に細胞を求めていますから、それを阻止しようにもなかなかそれは難しい。

人間が誕生する前からずっとウイルスはそうやって生き延びてきていますから。

今後現れると予測されている、鳥インフルエンザのヒトヒト感染。

致死率が50%とも言われています。

こんなのだったら、私もみな以上に怖がるでしょうね。

ただ、この場合、感染者は他の人に感染させる前に重症化で亡くなってしまうでしょうから、今回の騒動のように、世界中に蔓延するということになるのかはわかりません。

蔓延するということはすなわち、人や物が動いているからということで、動けるだけの力を失わせない感染症である、すなわち軽症であるということを物語っている気がします。

私の息子が言っていました。誰かの引用かもしれませんが。

「今回のウイルスを怖がっている人たちには、籠っている家の窓越しに見えるウイルスがどうしても屈強な兵士に見えてしまう。

じっと籠っていられなくなってドアを開けてみると、屈強な兵士ではなく、実はなんともかわいらしい少年兵だった。

でもやはり怖くてそれを確認できずにいる。

それが今の多くの人の状態だ」と。

私も私の子どもたちも、少年兵であることを知っていて、その少年兵と共生することを覚悟している輩です。

少年兵はもしかしたら、刃を向けてくるかもしれません。

でも、そのときはそれに対抗すればいいと覚悟を決めています。

要するに私たち3人は、怖い怖いとただ恐れていることができない人種なんですね。

 

世の中に、不埒な人間はごく少数のようで、明日4月7日、「緊急事態宣言」というのが政府から発令されるということで、待ち望んでいる人も多いようです。

果たしてこれが発令されて、皆が望む結果になるのか。

政府はシナリオを用意している気がします。

とても効力があり、飲めば治るよと言われて渡された薬を飲んだ人は、安心した分、体が楽になった気がします。

この発令はそれを狙っていると思っています。

だって、とっくに感染者は蔓延していて、本当のことは何もわからないけれど、ただただ不安で怯えているのだとすれば、安定剤を飲ませればそれで済むこと。

市中でまだまだこのウイルスがくすぶっていても、今までどおり、ちょろっとごまかしをしていき、人々の精神的安定を目指せばいい。

そして、とりあえず落ち着いた~と安心に慣れた人たちが、今度慌てるのがコロナ不況。

目先に迫ってきた家計のやりくりに追われることになります。

こんな風なシナリオじゃないかと予想してみました。

意地悪すぎると非難されてしまうかもしれませんが、覚悟はしておいた方がいい気もします。

 

私の娘が先日、ぽつりと言いました。

「こんなに学校を休んじゃっていいのかなって、少し不安になる・・」

休校が長引くことを大喜びしていた娘でしたが、そんな風な気持ちにもなっているようです。

登校して、勉強して、スポーツをしてというルーチン化が滞ることへの子ども自身の不安は、親が我が子を案ずる気持ちの中に、果たしてカウントされているのでしょうか。

不安だ不安だとあおり、不安を現実よりも大きくしているマスコミと同化して、親である大人たちは、この騒動をどこへもっていくつもりなのでしょうか。

 

人間を滅ぼすのはウイルスかAIかなんて話も、以前からよく聞きます。

人間には考える力があり、それによってこの文明社会が築かれているはずです。

でもそれは非常に貧弱なもので、こういう騒動があると人間は真に偉くはないなと強く感じることができます。

PCR検査の窓口が「帰国者・接触者相談センター」となっているから、特に大学生の帰国者のバッシングばかりが目立ちます。

そういう人たちしか検査ができないのだから、陽性者が多いのもしかたないというのに。

オリンピック延期後にようやく、感染経路不明というワードが上がるようになってきて、操作されているように感染者も一気に増えました。

市中感染に比べれば、帰国者や接触者なんてごくわずかなんです。

多くはこの感染経路不明の市中感染で、1月から相当数がいるはずです。

そして、マスコミや政府の工作に踊らされてる人たちが、この社会が発達していると思われる今でも、近所で集まって「あそこの家の子は、こんなことをしていたんだよ」なんてひそひそと話している状況と同じようなやり取りをSNS上でしていることに、呆れることもしばしば。

昔の井戸端会議と何も変わってはいません。

事実に目を向けてほしい。

事実を探してほしい。

そういう能力を身につけていかなければ、人間社会の本当の発展はないのだと、そちらを危惧してしまいます。

 

怖がり、歩みを止めることを、今は仕方ないと感じています。

でもその先に何があるのか、ここで何をつかみ取るのか。

感染しなくてよかったね~という単純思考で終わるのではなく、この状況を活かすことができるのであれば、それは歩んでいる証になり、それに期待をしたいなと心から思っています。