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今どきニュース・旅行記・大学生&社会人の子ども情報など、50代女子のよろずブログ。

思いやる

旅行記を長々と書いている間に、世の中にも変化がありました。

吠えたいこともちらほら。

ま、これもあとで吠えますが。

 

そして、私にも新たな発見がありました。

忘れないうちに書き留めておきます。

旅行へ行くと日本っていいなあと思いますが、長らく日本にいると、こんな国、嫌だなあって思い始めます。

欧米人、特にアメリカ人の陽気さというか、自分主義というか、そういうのには憧れがあります。

私自身は、日本の中にいて窮屈だなあと思うことが結構あって。

子どもの頃から感じていたことは、人と歩調を合わせなくちゃいけないという窮屈さ。

他人への迷惑って、どこからどこまでなんだろう。

その迷惑の基準って、どこにラインが引かれるんだろう。

特にコロナ禍になってからは、非常に自由が剝奪されたと感じ続けてきた私ですから、この日本人のラインが自分に合っていないことに苦しんできたわけで。

外出がダメだとか、消毒液が必要だとか、まあなんとか苦しみながらも迎合してきました(いや、ずいぶんはみ出していた)が、最後の最後、マスクが一番しんどかったですね。

それが最近になって、自分がなぜこんなにもマスクを嫌がるのか、よくわかったんです。

決してあまのじゃくでも、アメリカかぶれでもなく、触覚障害だったんですね。

まあ、子どもの頃から今でいえば発達障害っぽい傾向がありました。

例えば、学校で、机が少しでも曲がっていると許せないんです。

自分のだけじゃなく、他人の机も。

ニュアンスの違う言葉を使うことが許せず、特に自分が言葉を間違えると、相手の家まで行って訂正してきたり。

予定が変わると、それを受け容れるまでに時間がかかり、時には家で暴れたりもしました。

いやあ、これはまさしく、今ならグレーといわれる子どもってやつ。

そして、それだと証明できるひとつとして、触覚障害。

人に触れられるの、とっても苦手で。

友だちが私の腕にからまってきたときには、その部分から鳥肌が沸き立ち、全身に広がっていき、凍りつくようになります。

多くの変てこな部分は、大人になるにつれ薄らいでいきましたが、この触覚障害っぽいところは消えていません。

夫にも触れないでと言っていましたからね。

私は、まったくルールや規則を受け容れられないわけじゃない。

だって、制服を着たりは全然OK、髪型に制約があったり、登下校や授業のシステムに不満を持ったことはありませんでしたから。

そういう規則に対して、自由を認めろなんてことはこれっぽっちも考えたことが無いのに、なぜマスクだけがこんなにも嫌なんだろうと真面目に真面目に考えて、やっとたどり着いた答えがこの触覚障害だったんですね。

裏付けはあります。

ちょっとでも服の襟元のタグが気になったら、その服は着れません。

肌ざわりなんかもとっても気になります。

指輪もネックレスも腕時計も、身に着けていると苦しくなります。

マニキュアなんてもってのほか。

息ができなくなります。

こうやって生きてきて、60歳を目前にした今になって、自分にそういう生きづらさがあったんだということに気づきました。

これが普通だと思っていたんですよね。

まあ、自分を中心に生きてきた証拠です。

これが果たして障害と呼べるのかはわからないし、そんな名前なんて言うのは後からとってつけたものだと考えているし、要は、自分が苦しまずに生きていけることが一番で。

そう、自分で何とかできれば障害じゃないですからね。

個性だとか、特性だとか、癖だとか、変わってるねで片付けられるとすれば、それでいいわけで。

そして、こういうバイタリティーのある変人だから、自分が苦しむことなんかなくて、逆に周りを傷つけて、気を使わせて、生きてきたというわけで。

多くの人たちに、今になって謝りたい気分です。

 

少し話を戻すと、だからマスクがこれほどまでに嫌なんだということがやっと自分でわかったんですね。

なんでみんな苦しくないんだろうと、不思議だったんですよ。

そりゃそうだ、腕時計すら着けるのが苦しかった人間に、マスクなんてできるはずないんですからね。

性分のうえでも、生理的な部分でも、日本に合わないと感じるわけです。

だからと言って、じゃあどこか他の国に住めばすべて幸せかと言えば、その保証はない。

どこに目をつぶれるか、どこを我慢できるのか。

そういうふうにして、取捨選択をして行くのが人生ということなんですよね。

 

マスクなんて何の意味があるの?

そうやって、このブログでも発信してきましたが、今、訂正します。

意味ある人には意味がある。

花粉は、ある程度防ぎます。

私もこの季節だけは、苦しみながらも外で着けることがあります。

くしゃみや咳の飛沫も、ある程度は防ぎます。

だから、感染症の広がりを防ぐということには、意味があるとは思います。

じゃあ、ウイルスが自分の口や鼻に入ることを防げるのか。

これはわずかながら防げるとは思いますが、効果のほどはわからないと思います。

だから、必要ないじゃん!

暑いし、苦しいんだけじゃん!

そうやって、一刀両断してきた私です。

でも、今日、改めます。

それでもいいという人、わずかでも防げるのならそれを着けたいという人、そういう思いで着けていてもいいんだと思えました。

そう思えたのは、自分が異端だということに気づいたから。

自分がマスクを嫌がっている本当の理由がわかったから。

理屈じゃなくて、感覚だということ(もちろん理屈だという人も大勢いますが)。

気分的に着けているほうが安心。

気分的に着けていることが苦しい。

真逆ですが、理由が感覚という意味で同じだった。

気づきました。

反省です。

真逆側にも、互いにきちんとした気持ちがあるんですね。

 

これが思いやるということ。

わずかに大人に近づきました。

 

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