子どもたちが大学に進学して、一番に強く感じたことは、人にはそれぞれ生きるステージがあるということでした。
同じような能力を持ち、同じような生活をしてきた者同士が、同じステージに居続けることで、安定した時間を刻むことができるのだということ。
ちょっと違うステージに入り込んでしまうと、はじめはとても新鮮だし、愉快に感じるけれど、継続させるにはそれなりの苦労が伴います。
我が家は首都圏ですが、最寄駅まで車で20分ほどの郊外にあります。
このあたりは、大学に進学しない子どもも多く、将来的に親の住むこの土地に戻ってくるので、親子で小学校からの同級生なんていう家庭も多い、いわば土着民族の地域。
そんな地域から我が家のふたりの子どもは、1時間半~2時間弱の通学時間をかけて大学まで通っていました。
この通学時間には、ふたりの子からかなりの不満を浴びせられてきましたが、当時我が家には非常に複雑な経済事情があり、都内でひとり暮らしをさせられる経済的余裕がなく、しぶしぶ長時間通学を受け入れてもらった経緯があります。
ふたりの通う大学は別々の大学ですが、ともに幼稚舎や小学校から入学してエスカレーター式に進学できる大学であり、すなわち、裕福な家庭で過ごしてきた内部生も多く在籍している大学ということになります。
内部生の中でも、本当に雲の上のような超お金持ちのご子息やご令嬢とは、普段の学生生活の中でも交わりはないらしく、そういった人たちのコミュニティは別にあるということで、大学内でもきちんとステージが分かれていたようです。
大学生といえども、しっかり相手を見極めてお付き合いをするようで、多少のレベルの差は、目をつぶりながらも似たような価値観のコミュニティが作られていくようですね。
とはいえ、我が家のように郊外から長い時間をかけて通学する子と、近くのマンションを借りてほぼ親のお金でひとり暮らしをする子との何かにつけての「差」は、結構頻繁に感じられるということは、親の私にもしっかり理解はできています。
皆が盛り上がっているときに、帰りの電車の時間を気にしなければならないことや、朝早くからのイベントに参加するのに苦労することなど、いつもどこか躊躇しながらということになり、可哀そうな思いをさせてきたなあと感じます。
これに関しては、子どもたちも私も、折り合いをつけながらなんとか乗り切ってきました。
子どもたちは次第に自分の手の届く範囲というものを知っていき、親のほうも、子どもにできる範囲の最上級の協力をして、そしてその親と子の両サイドの努力のようなものを、お互いが少しずつ理解できるようになり、それはなによりなことだと思っています。
まあ外から見れば、単なるやせ我慢のような気もしますがね。
自分の生きるステージを間違えてしまうことは不幸だなと感じます。
人はみな似た者同士のコミュニティというのがいちばんしっくりきて、長続きするものなんだろうなと、子どもたちの進学を機に考えさせられました。
結婚も然り。
同じような経済レベルの家庭で育ち、同レベルの学習能力があり、似たような考えを持ち、似たような答えが出せること。
結婚前の時間で、多くの時間を過ごし、多くの会話を積んでいけば、自分と同レベルであり、似た者同士であることはわかるはずです。
そこに結婚相手のターゲットをきちんと絞っておけば、後に結婚生活において何らかの問題が起きても、協力して解決していける確率は高いように思われます。
でも、結婚には罠がきちんと存在します。
自分とは違う部族になぜか魅力を感じてしまうことがあるんですね。
そこには賢く考えられなくなる若さゆえの盲目の魔法が存在していて、うっかり自分とは違うステージの人と結ばれてしまう。
これが、不幸の始まりになります。
それでも、後戻りしたり、ステージの違いを認識してそれを埋める努力をしたりするほどの賢さがあれば、長年の不幸を悔やむことなく、なんとか幸せな部類の夫婦生活に辿り着けるかもしれません。
ずっとあとになってそれに気づき、嘆いても悔やんでも仕方のないところまで来てしまったら、あとはもう不幸といつも隣合わせの生活であり、それに目をつぶりながら、ごまかしながら生きていくしかありません。
お気づきでしょうが。はい、それが私です。
この人、寡黙で、ちょっと違う視点を持っている・・
そこに惹かれた私ですが、ああ勘違い!
単なる何も考えない人、考えるのが億劫な人だったわけでした。
まあ、それから先は、そんな甘っちょろい勘違いだけでは済まないという日々が待っていたのですけどね・・
そして今、私の実親も同じような不幸にやっと気づき、もがき苦しんでおります。
私の父は学者肌で、勉強が好きで、旅行が好きで、不器用で、真面目。
私の母は学歴もなく、自分にコンプレックスを抱え、自信がないくせに、鼻っぱしらが強く、意地を張り続けることが生きる活力のような人。
もうおわかりの通り、私は母が嫌いで、いつも父の味方でした。
父が歴史の話や芸術の話をするときに、いつも耳を傾けていたのは私です。
私の子どもの頃の教養部分の大半は、父の話で形成されていました。
母は、父のそんな話には一切興味がなく、今から思うと、このふたりも生きるステージが違っていたんだなと思います。
お互いに合った別のステージの伴侶であれば、齢80にもなって、四六時中離婚騒ぎをしなくてもよかったのに。
どうやら、本当に離婚するということになりそうな気配ではありますが、80歳を超えての離婚って、それでも意味があるのでしょうかね。
私なら・・もうしませんね、離婚は。
我慢のコツを知っていて、息抜きのコツも知っていますから。
負の連鎖。
経済のそれは知っていますが、伴侶を選ぶことにも不一致の連鎖が存在しているとは・・
驚きです。