あっという間に、9月中旬。
この旅行記を書き終えるのは、いつになることやら・・です。
当然現在進行形で、いろんなことが社会にも私にも起きているわけで。
実はすでに、来年の夏の旅行計画を進めているのであります!
だって、特典航空券ゲットは、360日前からですから。
マイルがそこそこ貯まっているので、次回は2人分くらいは特典航空券で賄えそうな気配。
またあとで、詳しく書いていきますけどね。
そして昨日、久しぶりにお泊りディズニーに行ってきました。
会社の先輩からチケットをもらったという、娘のお付き合いで行くことになりました。
親のお金で遊べるという企みに、まんまと乗ってあげるバカ親です。
書きたいこと満載ですが、まずはパリ旅行の続きを。
~8月7日 月曜日~
パリ5日目の予定はこんな感じで。
赤字で書かれているバトビュスとは、水上バスのこと。
セーヌ川沿いの観光名所に船で行けるので、とても便利です。
19ユーロの1日券で乗り放題なので、この日はこのバスに乗って移動する予定です。
セーヌ川を行き交う船というと、観光船。
セーヌ川クルーズはとても人気です。
我が家も当初はそのつもりでいたのですが、このバトビュスを発見した後は、これでいいじゃん!となりました。
交通と観光を兼ねていて、おケチな私には最適です。
エッフェル塔の夕暮れやシャンパンフラッシュを、クルーズで見たらめちゃ素敵でしょうが、我が家はホテルから見えますからねえ。
恋人と仲良くというというわけではないので、母子3人、バトビュスで充分なんですね。
さて、いつも通り、朝食をホテルでしっかりとります。
判を押したようにきちんと同じような早い時間に現れる日本人。
スタッフはいつも同じ席に通してくれました。
ゆっくりと朝食を食べ終えて、バトビュス乗り場まで歩きます。
ホテルから一番近い乗り場は、下の地図では小さく突き出ている青い塔のコンコルドの乗り場。
バトビュスは、こんなふうに一方向に川を周回しています。
船に乗って、まずは黄色の建物のオルセー美術館、その後、紫色のノートルダム大聖堂のあるシテ島へ向かう予定です。
歩くこと20分くらいでしょうか。
結構早く乗り場に着きました。
水上バスは、毎日10時にエッフェル塔乗り場をスタートするとのこと。
この乗り場に着くのは、10時を過ぎてからになるはずですが、いつまでたっても誰も来ないし、チケット売り場も開きません。
近くにあるベンチで座って待ちましたが、何も変化はありません。
10時少し前になって、小さなボートが着いて、小奇麗な男女のペアが降りてきましたが、風貌からスタッフとは思えません。
アランドロンかと思うくらい端正な顔立ちの金髪の男性に、思い切って話しかけてみると、どうやら彼らはプライベートツアーで、乗客を待っているとのこと。
10分ほどで、日本人の乗客数人が現れ、彼らを乗せ、さわやかに手を振って金髪をなびかせて去っていきました。
そして再び残された我が家3人。
ひたすらチケット売り場が開くのと、船が来るのを待ちます。
ここでふと、娘が気づきます。
「チケットって、オンラインで買うんじゃなかったっけ?」
そうだ、そうだった!
慌てて娘がサイトからチケットを購入。
そうこうしているうちに、バスが現れました。
無事にチケットを見せて、誰もいない貸切状態のバスに乗り込みました。
やれやれ。
しかし、あのチケット売り場の窓が開くことはあるのかしら・・
まずは次の停留場である、エッフェル塔の乗り場まで行きます。
まあ、バスなので、座席とかもこんな感じです。
船からのベストな一枚。
セーヌとエッフェル。
やっぱり絵になるなあ・・
しばらくすると、目的のオルセー美術館が見えてきました。
これもまた素晴らしく美しい建物。
ところが、降りてみたものの、ほとんど人が居ないんです。
まさかね、休み・・?
入口まで行って、休館日であることがわかりました。
そう、月曜日って休みだったんだ!
なんでこんなことに・・
前日のルーブルの予約がとれずに、日程をちょこちょこと変更していた段階で、このオルセーが抜け落ちてしまっていたようです。
ガックリです。
しようがない。
気を取り直して、翌日に組み込むことにしました。
翌日は結構余裕があるし、ディズニーにひと足早くでかける息子と別れてから、オルセーに行こうということになりました。
息子はオルセーには全く興味がないということでしたし。
またもや水上バスの乗り場へ戻り、再び乗船して、次の停留所のノートルダム大聖堂へと向かいます。
この大聖堂の火事は、4年前。
ニュースでも何度も取りあげられましたね。
船から見えた大聖堂ですが、今はこうして工事中となっています。
ノートルダム大聖堂という名の教会は、フランスにも他の国にも複数あり、なかでもこのパリの大聖堂がユーゴ―の小説の舞台にもなっていて、世界的に有名だということです。
この教会は、シテ島というセーヌ川の中州にあります。
グーグルマップの写真で見ると、シテ島はこんな感じになっています。
実はパリという街の歴史は、この中洲であるシテ島からはじまったということです。
この中洲にパリシイ族というケルト人が住み着き、その民族名がパリという名の由来です。
シテ島は、発展を遂げた後、人口が増えすぎて不衛生な街となり、ほとんどの建物が建て替えられ、今のような島になりました。
この大改造計画で残された、黄色のノートルダム大聖堂、緑色のコンシェルジュリー、赤丸のサント・シャペルという、3つの建物が観光スポットとなっていて、我が家ももれなくこのあと見学です。
しばらくの間、ノートルダム大聖堂が見られないのはとても残念ですね。
多くの人がこうして、その復活を待ちわびていました。
大聖堂の中は、当然今は見れないので、次にコンシェルジュリーへと向かいます。
地図写真のピンク色の船の停留所とは反対側の川沿いを歩きましたが、川向うもこんな感じで、圧倒される建物ばかり。
パリってすごい。
コンシェルジュリーが見えてきました。
塔のある建物です。
コンシェルジュリーとは、もともとは王宮でしたが、14世紀後半に王の居城が他へ移されてからは、牢獄として使われるようになったということです。
王はそこに指令室を置き、護衛をした門番をコンシェルジュと呼び、後にこの王宮がコンシェルジュリーと呼ばれるようになりました。
ホテルなどで現在活躍しているコンシェルジュという職もフランス語なので、これが語源になっているらしいですね。
入口にやってきました。
写真では小さいですが、金色の部分がパリ最古と言われている公共の時計です。
受け付けはとても狭かったですが、見学者も少なかったので、すぐに入れました。
元王宮への入口です。
入って左手に、案内機器の貸し出しがあります。
3人なのに、なぜか2台でした(笑)
番号が表示されている場所に行くと、当時の状況を画面上でわかりやすくCGで再現してくれます。
このコンシェルジュリーは、なんと言っても、マリーアントワネットが投獄されていた場所ということで有名なんです。
処刑までの数か月をここで過ごしていたんですね。
ここからの脱出も試みたのですが、未遂に終わり、それ以来監視の目もひどくなり、待遇は一気に悪化したそうです。
最後は白髪の老婆のようになり、出血もひどく、髪は切られ、粗末なドレスに身を包みながらも、王妃としての振り絞ったプライドを持って、断頭台に登ったということです。
オーストリアのハプスブルク家に生まれ、外交目的で14歳でフランスに嫁がされ、何も知らずにわからずに、ただただ時間を持て余しながらの生活をさせられ、こうして最後は断頭台で処刑されるという、まさに悲劇の王妃です。
彼女が、当時のフランスの状況を知ることができたのか。
実際にパリに行ってみると、ヴェルサイユはパリの中心から離れていて、しかもあれだけの広大な敷地内に住んでいる王族に、市井の様子を伺い知ることはできないと思われます。
市民たちの不満は、積もり積もったものであり、彼女が38歳で亡くなるまでの24年間で一気に出来上がったものではないはず。
不満の爆発は、すでに止められない時期に達していたんだと思います。
情報のない時代であり、情報が遮断される場所にいた王族。
こうして地位ある人も何もない子どもも、多くの血が流されて、歴史は変わっていくものなのでしょう。
そしてそれはあなたたちも同じなのよと、語りかけられている気がしました。
コンシェルジュリー内は、真剣に見入ってしまい、写真がほぼ無いことに気づきました。
230年前の出来事であり、しかも異国の話であるというのに、そこに思いを馳せることができるということ。
パリの力なのか、ベルばらの力なのか。
そしてこのあとは、予定していなかったサント・シャペルです。
オルセーに行けなかったので、ここの見学もしようということになりました。
コンシェルジュリーもサント・シャペルも、ミュージアムパスで入場できます。
でも、サント・シャペルは予約が必要なので、予約なしで入れるのかどうかと心配していましたが、少し並びましたが、無事に入場できました。
予約なんて言ったって、ルーブルなんて時間のチェックもなかったし。
ま、そうやって人数を大まかに配分しているということなんでしょうね。
サント・シャペルは教会であり、パリ最古の美しすぎるステンドグラスで有名です。
でもやはり罰当たりな私、あまりこれに興味が無くて、娘が熱望したので入場列に並びましたが、最後はちょっとくたびれてしまって。
見学をするってほんと、大きな興味と労力が必要です・・
はじめにセキュリティーで30分ほど並び、そこを抜けた後、内部へ入場です。
こちらはほぼ待つことはありませんでした。
教会は2階建てになっていて、入場するとまずはこんな景色が飛び込んできます。
正面の像は、ルイ9世。
この教会を建設した王です。
入口の脇に、らせん状の石の階段があり、それを登っていくと見事なステンドグラスの世界です。
それぞれのステンドグラスは、聖書の物語を表しているそうですが、拡大して撮っていないし、そもそも聖書について詳しくなくて・・
正面には大聖遺物箱。
この中には、キリストが十字架にかけられた際にかぶった「茨の冠」があったらしいですが、後にノートルダム大聖堂に移されました。
ノートルダム大聖堂の火災からは、なんとか救い出され、無事であるそうです。
後ろの入口上部には、これまた素晴らしい円形のバラのステンドグラスの窓。
これも聖書の物語を表しているらしいです。
見学を終えて外に出ます。
ここは、立派な裁判所の敷地内。
金の門の中、正面が裁判所で、左側がサント・シャペル、右側がコンシェルジュリーです。
敷地内に、素晴らしい建物が並んでいるんですね。
向かい側のレストランに入って、お食事タイム。
見事な眺めですね。
食事を終えて、再びバトビュスでホテルに戻ります。
帰りの船ではもう、暑さと疲れでぐったりでした。
この日の夕食は、ホテルのレストランでと思っていましたが、ヴェルサイユへ行った日に、予定していたけれど大行列であきらめた近くのフレンチステーキ店に最挑戦しようということになり、長い列に並びました。
先の方に見える赤い屋根が入口ですが、この行列、実はこのビルをぐるっと囲んでいるんですね。
この列はホテルの部屋から見えるので、今ならまだ並べる状況だということで、3人で駆け付けました。
この超人気レストランの開店前の正面入り口。
ここ、何が人気なのかといえば、これです。
フレンチステーキ。
これにサラダもついてくるのですが、何も言っていないのに、いきなりお肉を追加されました。
ポテトも追加しようとしたので、「Non、Merci!」。
これが人気の秘密でした。
たらふく食べられるということなんですね。
お味の方は、まあ可もなく不可もなく。
最後にスイーツをオーダーして、ホテルに帰りました。
そうそう、ここのトイレで、はじめて「便座無し」に出会いました。
便座が無いトイレがあるというのは聞いていたので、いちおう便座シートを持って行ったのですが、その時はバッグに入れてなくて。
そのまま座りましたよ、はい。
ただね、ここは男女別になっていたので、あまり汚いとは思わなかったですね。
まあ便座が無いと細くて、座るのに結構心地は悪かったですが。
トイレ事情は、最悪を想定していたので、思ったほど困りませんでした。
確かに日本のトイレは、大概はどこへ行ってもきれいだし、便座は暖かいので、それに比べるとかなり全体的に劣りますがね。
デパートのトイレなども、日本は非常にきれいですが、普通にディズニーのトイレのようにたくさん並んでいますよって感じでした。
たぶん、以前よりもあちこちできれいに改装してきているんだと思います。
少し前の情報とはずいぶん違っていますから。
おフランスもようやく、トイレの重要性に気づいたきたということでしょうか。
というわけで、5日目が無事に終わりました。
翌日は、何度も目にしているエッフェル塔に登る予定です。