脚本家の山田太一さんが亡くなりました。
作品は多いですが、私が観たのは「ふぞろいの林檎たち」だけです。
これは結構好きだったので、パート3まではBlu-rayディスクに保存しています。
太一さんが亡くなったニュースを見て、久しぶりに観ようと思い、息子と少しずつ見ています。
しょっぱなからヌードのシーンなど、今じゃあり得ない映像に息子が驚いていましたが、昔はこうだったんですね。
息子が今中高生だとしたら、一緒に観るのはちょっと辛い感じです。
その「ふぞろいの林檎たち」。
毎回サザンオールスターズの曲が流れて、それが当時の等身大の若者を描くドラマにピッタリのアクセントになっていて。
そしてまた、一話ごとのタイトルもすごくよくて。
第一話のタイトルが「学校どこですか」。
そこからずっと、そういう問いかけのタイトルになっています。
なので、今回、私の記事も「ふぞろいの林檎たち」ふうにしてみたという、長い前置きでした(笑)
タイトルの「しあわせですか」。
しあわせの基準は人それぞれだし、状況によっては、青天井だし、底抜けだし。
比較する対象によっても、変わりますね。
例えば、今の中東やウクライナで、戦火の中で暮らしている人たちのことを考えれば、暖かい部屋で普通に食事ができる大多数の日本人は、「しあわせ」だということになります。
でもまあ、しあわせなのかという問いに対して、自分の生活とあまりにかけ離れている人たちを比較対象にすることはあまり現実的ではなく、一般的には身近な人や過去の自分と比べてということになりますよね。
私はこの問いに対して、「今はしあわせです」と答えます。
そう、あまり口にしたくはないんですけどね。
何度も書いていますが、口にした途端、しあわせがするりと逃げていく怖さを知っていますから。
しあわせ恐怖症で。
しあわせに対して、不幸という状況も、青天井であり、底抜けです。
少なくとも私は、数年前までは自分にとっては決してしあわせな環境とは思えませんでした。
それでもなんとか乗り越えてこれたのだから、誰よりも不幸だった!なんてことは思っていません。
それにもしかしたら、今が生き心地がいいから、当時は苦しかったなあと思えるのかもしれません。
でも、以前の生活がまたできるかと言えば、もうそれは勘弁してほしいと思っています。
娘は、と言えば、これまた私と同じで。
今が一番幸せだということ。
彼氏居ない歴が更新され、友達も少なく、仕事も面白くないけれど、それでも今がとても心地がいいということです。
まあ、私と夫の争いを見てきた過去から解放された事実は、娘や息子の今に少なからず影響しているとは思います。
親や環境に振り回される子どもは、きっと多いはずで、私自身だって未だに、自分の親に何か囚われていると感じていますから。
娘のしあわせの基準が、私と同じではないでしょうが、とりあえず彼女は、今が充実しているらしいです。
じゃあ、息子は。
今回、このタイトルにしたのは、実は数日前に息子の元上司から電話があったのがきっかけなんです。
昨年度1年間、この元上司の下で働いていた息子は、結構な暴言を吐かれていました。
そして息子は今年の春、おそらくこの上司の意向もあって、おそらく左遷級だろうという異動をさせられました。
異動を通告されたときに、その上司からのメールを見せてもらったことがありますが、息子を見下したような「これはアウトでしょ」という内容のものもありました。
当時は同じテンションで、息子も私も娘も怒っていましたが、まあ、さすがに時間が経てばそういう気持ちも静まります。
今の息子は、通勤は長いし、あまり自分に合った仕事内容ではないものの、のんびりといい人たちに囲まれて過ごしているようで、今となっては、それもアリかなと家族皆が思えています。
そしてそして、数日前のこと。
国会対応の件で過去の資料について教えてほしいと、夜8時過ぎてから息子に電話がありました。
その元上司からです。
息子はめちゃくちゃびっくりしていました。
なんでも。
今対応できる人が誰も居なくて、最後の頼みの綱として、当時のファイルを知っている可能性がある息子に電話をしてきたということ。
息子はすぐに察知して、過去のメールを開こうとしましたが、ロックがかかっていて開けず、今の仕事場に連絡をしてロック解除をしてもらおうと試みましたが、それもできず、結局その元上司の役には立てなかったそうです。
国会答弁のための資料なので、時間との争いだったはずで、息子曰く、その元上司、かなり肩を落としていたらしいです。
それを聞いた私と娘、「はっ、ざまあ!」と笑いました。
息子をメールでいじめて、左遷のような異動をさせて、ほくそ笑んでいた罰だね!
それを聞いた息子、もうそんなことは思ってないし、それよりその上司だけでなく、助けてあげられなかった後輩にも悪かったと思ってるって。
あ、そうですか。
お母さんは忘れちゃいないけどね!
先日、銀座に行ったときに、娘と話しました。
人を恨んだり憎んだりする気持ちって、今をどう生きているかで変わるものなんだろうって。
私も自分自身のことについては、そういう負の気持ちをあまり長く抱いた記憶がありません。
今がしあわせだとか、充実してるとか、もしくは今そうでなくても、夢や目標を持っているとか、がむしゃらに生きているとか、そういう中に居たとしたら、人を恨む気持ちは、外にはみ出していくもの。
今の自分がどうなのかって、とても大事。
そういう負の感情を浄化させる「今」が、嫌な日々ではないこと、それが一番なんですね。
私の場合、自分のことは負の感情でさえ、全くもって浄化どころか記憶にすら無くなるのに、こと子どもを苦しませた事案については、蛇のように覚えていたりします。
これはどうしてなんだろうねえ・・
娘曰く。
お母さんの愛情が青天井だから!だそうです。
そして昨日の休日の朝、今まで聞いたことがなかった問いを息子に投げかけてみました。
「今、しあわせですか?」
どうした、急に?
びっくりした後、「おおむね、しあわせだと思う」ということ。
僕の場合は、病気のこともあるけれどね、それを付け足したとしてもそうだと言えるということ。
そっか。
それならよかった。
我が家は、とりあえず安定した凪の状態。
このまま、このまま、安らかであってほしいなあ。
いや、我が家ですから。
それは無理だろうなあ・・