先週の息子の定期受診。
採血の結果では、高価で副作用も重い薬の効果は思ったほどでもなく、主治医は薬の量を増やしたいという意向。
息子の感じる薬の副作用としては、時々の頭痛がある程度でしたが、心電図の結果から、脈拍数が結構多くなっているのが心配材料だと言われ、息子はやはり現在の量のまま、あと1ヶ月様子を見たいと主治医に話していました。
こうして月に1度は検査をしていくので、息子が突然倒れ、死んでしまうことはないような気がすると私自身は思っていましたが、息子はそれが不安だったようで、今回それを主治医に確認していました。
悪化する前兆の症状は必ず現れるので、突発的な死の懸念はないと言われて、少し安心はしたようですが、そもそも死というものに対する考えが息子と私では違っていることが今回わかりました。
私にとって死とは、心臓が止まってしまうことなのですが、息子にとっての死は、活動を止められてしまうことなのだということ。
心臓が動いていても、ベッドの上に縛られ思うように動くことができない状況は、今の息子にとっては死と同じだということ。
息子のこの考えは、そういう状態になっても、きちんと希望を持って戦って生きている多くの人々の反感を買ってしまうことになると思います。
ただ、それを息子に諭すことは今はできません。
でもね、違うんだよ。
家族にとっては、それでも生きているというだけでどんなにうれしいことか。
私は自分の甥っ子が2人、若くしてこの世を去っています。
ひとりは小学校入学前に病で、もうひとりは高校生で自殺でした。
残された私の姉や義理の妹である、その甥っ子の母たちの苦しみを見てきた私は、自分の子どもの死を受け容れることの恐ろしさを知っています。
でもそれは、母という立場の感情であり、死んでしまった本人の本当の気持ちがどこにあったかは理解ができません。
もっと言えば、同じ母ではあるけれど、外側に居て悲しむ私と、当事者の母である姉や義妹とは当たり前だけれど同じ感情ではありません。
立場が違えば、死に対する考えや感情はもちろん違っていて、それを同一にすることはできないのです。
自由に楽しく生きてきた息子にとって、活動停止が死であると考えてしまうというのは仕方のないこと。
そしてそれは往々にして、時間の経過が変えていくものだということを、長く生きてきた母は知っています。
今の息子の考え方は、ごく当たり前のこと。
それが変わっていってしまう経過をたどることは、ずっとずっとあとであることを願うばかりです。
時の経過ということで。
びっくりするほど変わったことが、最近私の中で起こりました。
コロナのワクチンを受けようと思い始めたことです。
このブログでも、ワクチンについては100%否定してきました。
ワクチンの効果を否定してきたわけではなく、自分の免疫力を信じてきただけのことで。
思い返せば、1昨年の終わりごろ。
娘がおかしな風邪症状になりました。
微熱状態が続き、時おり38度台。
何しろだるく、胸が苦しく、座っていても呼吸することがつらい。
コロナの出始めのころで、病院へ行っても、もちろんPCR検査などできない時期でした。
それ以上悪化することも、よくなることもない状態が1ヶ月。
ただただ安静にしていただけでしたが、家族の中ではこれは間違いなくコロナだと確信していました。
似た症状が現れたのが私です。
でも娘ほどではなく、1週間で普通の状態に戻りました。
おそらくあの時に検査ができていれば、家族全員がコロナ患者だったのではないかと考えています。
そしてその後、それが私と息子と娘の中で、謎の自信となったわけです。
私たちはすでに抗原を持っている。
コロナに罹っても、自身の免疫力によって、あの程度で終えることができる病気なのだと。
実際、現時点では特効薬があるわけではなく、ただただ自分の免疫力で戦うしかない病気です。
これは普通の風邪もそうであり、免疫力が衰えれば、重い肺炎になって死んでしまうことは、これまでも当たり前のようにあったはずです。
これまでもこれからも、諸々のウイルスとは共存して、なるべく抵抗しながらも、最後は人間の持つ本来の力で戦っていくしかないというのは昔から変わらない事実。
過度に恐れずに、人生を謳歌しながら、でも何らかの病や事故に巻き込まれたら、なんとかそれを乗り越えていくというのが、本来、人が生きるという意味であり。
そう、恐れたいものはコロナだけではなく、恐れるばかりに人生を謳歌できないのはあまりにつまらないものであり。
でも、ふと考えたのです。
だからといって、ワクチンを拒否し続けることはどうなのかと。
免疫力にプラスアルファになるのなら、それをしないというのはどうなんだろう。
効果の持続性に不安があるにしても、数字的にはコロナと戦える力にはなっているというのは確かなことであるらしいし。
そもそも我が家がコロナに打ち勝っているというのは謎の自信に過ぎず、検査もできなかった頃のことで、あれがコロナだったかもと思い込んでいるだけのことで。
実は、私がこんなふうに考えることになったきっかけがあります。
とうとう職場で、なるべく早く接種をするように上司が呼びかけをはじめたと、少し前に息子が言い出したこと。
息子は仕事場で外国人とのやり取りもあり、やはり仕事をこなすうえで、接種は不可欠だということです。
主治医の方からも、病気を持っているからこそ接種はしてほしいと以前から言われていたのですが、逆に病気を持っているからこそ怖いという気持ちの方が強かった私たち。
でも明らかに、社会がそのように動いていて、接種をしなければ仕事に支障が出るという状況が目の前に迫ってきてしまいました。
今まで、謎の自信でやり過ごしてきたけれど。
とうとうそれではダメなんだということになっちゃったね。
息子も「謎の自信」というワードに反応し、母子ともにひと晩で方向転換が決まりました。
「え、お母さんも接種するの?」
そうだよ。
だって、ワクチンを体内に入れることを嫌がっていた我が子が、意を決して接種するというのに、母である私がいつまでも尻込みしていちゃ情けないじゃないですか。
そんなアホみたいな責任を感じることはないと息子は笑いましたが。
お母さんは本気でそう考えているんです・・
時間の経過。
これが諸々の思いや考えを変えていくのです。
ここに登場しなかった娘の意向ですが。
彼女は断固として反ワクチン派であり。
娘の就活やワクチンに対する考えは、次回にゆっくり書いていきたいと思います。