いよいよ、今回の旅もクライマックス。
1ヶ月くらいの長旅なんていうのはしたことがなく、これまで長くてもせいぜい2週間弱。
このくらいだと、本当にあっという間に終わっちゃうんですよね。
ここ2回の旅行は、行けるかどうかとか、陰性証明のことだとかで、純粋に旅行前の準備期間を楽しむことができず、コロナ前のように満杯のワクワクを感じられなくなっていたことは確実です。
だから、なんというか、ちょっと宙ぶらりんで、地に足が着いた旅行にはなっていなかったと感じています。
どこか行き当たりばったりな。
この傾向がこのまま続くのか、はたまた綿密に計画を立てる旅行に戻っていくのか、次のフランスで答えが出るかなあと思っています。
まあ、あくまでもこれは私の内側の感じ方の問題なので。
ただこれは、旅行だけじゃなくて、他にも言えることだなあと、今思いました。
そう、普通に生活していても、何事にもこだわりが無くなってきてるし、達成感のようなものを感じづらくなってきていますね。
「ま、いっか」が多くなった。
ということは、これは加齢のせいであり、それにコロナのせいで省エネモードになり、ガツンと手ごたえがなくなってきたということなんでしょうかねえ・・
というわけで、最終日になります。
今回もあらかじめ、ネットでハーツレンタカーに予約を入れておきました。
前回ラスベガスのときは、ケガをしたせいで一旦キャンセルして、予約なしで当日借りに行ったのですが、かなり割増し料金になっていました。
以前ハーツのスタッフに、借りるなら絶対に予約を入れて行った方が料金は安いですよと強調されたことがありますが、本当にそうでしたね。
ホテルの近くにもレンタカーの営業所がありましたが、ハーツの方が安かったので、少し遠かったのですが頑張って早起きして、12~3分歩きました。
ホテルの窓からのニューオリンズの街です。
ちょっと街を外れると、こんなふうに歩道もガタガタで、朝のせいか、全体的に寂れている雰囲気ですね。
ハーツのレンタカーの営業所に入ると、屈強な男性スタッフが3人、ふんぞり返ってカウンターに座っていました。
子どものような私たちが、なぜかすみませんという感じで話をすると、まったく受け付けてもらえず、なんで?と思ったら、後ろを指さされ、他に先客がいるんだよと言われました。
それも威圧的。
まあ、しょうがない。
でももうちょっと、優しい態度がとれないものでしょうかねえ。
少し待たされて呼ばれて、15分ほどで、いつの間にか車道に車が用意されていて、乗り込むことができました。
車は、日産のキックス。
一番安いプランで、セダンのサニーのような車を予約したはずだったのですが、SUVになっていたのでラッキー!
コンパクトで乗りやすかったですね。
ハーツの営業所の隣にあったサブウェイで、パンとオレンジジュースを買って、車内で食べて出発です。
さて、本日は私のメインイベント日。
昨日のミシシッピ川の蒸気船クルーズやフレンチクォーターなど、長年夢見ていた場所ではなく、いきなり私に飛び込んできた「バイユー」へ行きます。
最初にこの写真を見て、胸が躍ったんです。
もうね、これは行くしかないと思いました。
こんなところに入っていけるなんて、人生の中であまりないこと。
昔見た「あらいぐまラスカル」や、「トム・ソーヤーの冒険」なんかに出てくるようなノスタルジックな風景。
超貴重な体験です。
ところが、このツアーにはこれが付きもの。
そう、ワニちゃんです。
このあたり一帯はワニちゃんの生息地帯で、ルイジアナ州は一番多いと言われています。
バイユーツアーに行きたい私の気持ちはわかるけど、これは勘弁してくれという子どもたち。
娘なんて、ほぼ怒り気味にワニの恐ろしさを細やかに調べて訴えてきましたが、ここは強行突破。
そこで譲歩したのはボートの大きさ。
最初はこんな小さいボートを希望していたのですが、これが却下されました。
じゃあこれならということで、OKをいただくことができました。
それでも前日辺りまでずっと、娘にはブチブチと言われ続けられましたが(笑)
さて、レンタカーの営業所から30分ほどで、現地に着きました。
娘は、着いたらこの有り様(笑)
ワニに乗って喜んでいます。
実際に乗るボートはこれです。
出発少し前に乗船して、20人ほどの客が乗り込んで、さあいよいよ出発です。
ボートがバイユーを進んでいく最初のシーンを、どうぞ一緒に。
この先に何があるんだろう。
どんな景色が見れるんだろうと、もう子どもに帰ったような気分です。
ここから1時間半、狭くなったり大きくなったりするバイユーを、ワニやら鳥やらカメなどを見つけながら進んでいきます。
少し進むとワニが数匹、水面から目のあたりだけ出していたりしますが、小さいワニばかりで、ボートの方には寄ってきません。
するとそのうち、ボートがスピードを落として、ほぼ止まった状態になり、スタッフが指差したその先にいたのが、これです。
皆がおおっ!と歓声を上げ、私たちも大興奮でした。
ただ、しばらく見ていてもまったく動かないし、異様にお腹も大きくて。
あれ、置きものなんじゃね?
そんなふうに3人でぼそっと話したりして。
ま、どっちでもいいか。
この頃には子どもふたりも、すっかり楽しんでいる様子。
ここでしか体験できないツアーに参加できて良かったと言っていました。
私自身も、ボートが動き出したあのワクワク感に、本当に何とも言えない幸せを味わえました。
あっという間にツアーは終了し、予定していたドラッグストアのドライブスルーのPCR検査へと向かいます。
検査は2度目なので手順がわかっていて、混んでもなかったのですぐに終わり、今度はプランテーションへと向かいます。
プランテーションとは、多くの黒人奴隷を使用人として、サトウキビや綿花の栽培をしていた大規模農園のことです。
映画「風と共に去りぬ」の世界観そのものですが、その華やかな表側の部分と、裏にある奴隷たちの悲しい部分を見ることができて、アメリカの負の遺産でもある奴隷制度や南北戦争についても考えさせられる場所でもあります。
私はほとんど映画を見ないのですが、「風と共に去りぬ」はなぜだかとても好きで、数回見ています。
主人公のスカーレットオハラは綿花栽培の大農園の娘。
わがまま放題で生きてきた彼女が、南北戦争で強く生き残り、最後に自分の農園に戻る決意をするあのシーンが、私の道標のようになっています。
どんなに困難でも、必ず起き上がって前に進むスカーレットの気力は、私の目標なんです。
映画の舞台の農園はアトランタですが、南部ルイジアナにも多くのプランテーションが存在しています。
そのひとつであるオークアレイ・プランテーションは、バイユーから約1時間ほど走った場所にあります。
見学の予約を入れているので、農園近くまで行ったら食事をしようということで、しばらく音楽を聴きながら上機嫌でドライブです。
ところがです。
どのあたりだったでしょうか。
速度制限が45マイルから35マイルだったかに変更になり、ちょうど合流地点に差しかかった場所で、いきなり何かが光ったんです。
一瞬で「撮られた!」と感じました。
オービスってやつでしょうか。
光ったのは、遠くの方にある大型ロボットのような機械でした。
「光ったよね、今!」
「うん、光った。この車に向けて光ってた。」
娘も見たらしく、これは速度違反で撮られたんだと思いました。
やたら周りの車がゆっくりだなあとは感じていたんです。
間違いない。
あ~、やっちまったあ・・
これについては、あとでハーツのあの屈強なスタッフにも聞いてみたし、ネットでも調べてみました。
もしもオービスだとしたら、あとから書類が送られてくるそうです。
罰金はハーツ経由で、クレカでの支払いになるということ。
1ヶ月経った現地点では何も送られてきていないし、カードへの請求もないですが、忘れた頃にやって来るらしいので、またその時には怒りながらここに書き込むことになると思います。
日本でも嫌だけど、海外の場合はわからないことが多いので、なんだかめちゃくちゃ落ち込みますね・・
ということで、プランテーションに近づき、レストランを見つけ、我が家のお気に入りになったGUMBOとパンとフライを食べます。
そこから10分ほどで到着。
オークアレイ・プランテーションです。
大邸宅と、立派な樫の木に圧倒されます。
美しいまま、整備されているなと感じました。
屋敷内は予約をすると見学ができ、我が家も30分ほどの見学ツアーに参加しましたが、残念ながら中の撮影は禁止だということで、写真はありません。
とても紳士的なスタッフが、説明をしながらいくつかの部屋を案内してくれました。
多くの使用人を使い、贅沢な暮らしをしていたことがわかります。
邸宅の裏の、使用人である奴隷たちの住居です。
中はこんなふうになっています。
きれいにしているようですが、当時はもっと劣悪な環境だったようですし、逃げ出さないための鎖なども展示があり、奴隷の料金表などもありました。
以前スプラッシュマウンテンのくだりでも書きましたが、黒人がひどい差別を受けてきたのは事実なのに、映画などでそのあたりがきれいごとに描かれていることに納得ができないという気持ちはわかるような気します。
だって実際私自身も、「風と共に去りぬ」の映画の中で、スカーレットは使用人とも仲良く過ごしていたので、実際農園に暮らす黒人たちはそれほどひどい境遇だとは思っていませんでしたから。
奴隷制度、南北戦争、そして今も続く差別問題。
大邸宅の素晴らしい佇まいと、見事な樫の木の庭を見て、うっとりする気持ちと共に、いろいろと考えさせられる場所でもありました。
たっぷり見学をして、暗くならないうちにホテルへと戻りました。
ロビーではピアノの演奏です。
待に出て食事をしようとしましたが、明日も早い時間に出発なので、アメリカ最後の夕食は、ホテル内のレストランで済ませることにしました。
今回の旅行の最後の夜。
疲れたけれど、またまたいい経験ができた旅だったね・・