タイタニック号観光の潜水艦「タイタン」の乗客・乗員が死亡というニュース。
残念で、辛いなあと思います。
破格のツアー料金であり、一般庶民では到底参加できるような探検ではないので、レベルが違いすぎて、亡くなった方たちの胸の内がどんなだったか、そしてそこに寄り添えるかというのはちょっと難しいですが。
あの金額を仮にポンと出せる資産を持っていたとして、命の危険があるというツアーに自分が参加するかどうか。
少なくとも私は、映画はとても好きで、ラストはいつも泣いてしまいますが、タイタニック号自体には興味はないので、このツアーに参加することは無いですね。
ただ、危険を伴うよと思われるツアーが、もう本当に恋焦がれてきたものであれば、迷うし、もしかしたら危険を承知で参加する可能性はあるとは思っています。
亡くなった乗客で、ミスター・タイタニックと呼ばれているフランスの深海探検家は、これまでも数回、タイタニックへのダイビングをしているとのことです。
彼の娘さん曰く、彼の最期は、それでも幸せだったろうということでした。
遺族にそう言わせてしまうほどの生き方というか、信念というか、これはこれですごいことです。
でも、亡くなった乗客で19歳の男性が居ます。
彼は、お父さんとこのツアーに参加したそうです。
タイタニックに夢中のお父さんのために参加を決めましたが、周囲には怖くて仕方ないと話していたらしいですね。
ミスター・タイタニックの娘さんの話とは真逆で、胸が痛む話です。
19歳の彼が最期に思ったことは何だったのだろう。
決して自分の望むものではなかったけれど、父の夢に付き合って、最期を迎える。
私には、かわいそうだったなという言葉でしか言い表せません。
アドベンチャー。
この言葉に惹かれる気持ちは大いに理解できます。
しかしながら、この言葉、本当に幅が広い。
小さなものから、命を張るものまで。
それに対する人の思いや評価も、本当にまちまちです。
冒険をする、チャレンジをする。
それが娯楽の極みなのか、貢献度の高いものなのかで評価も変わりますが、この精神を失えば、人類の歩みが止まるとも思います。
とーっても小さい冒険なら、多くの人が人生で一度は経験すると思います。
あとで振り返って、あれはチャレンジだったなあ~って。
そしてそれってたぶん、自分にとって、必ず自信になって刻まれているんですよね。
チャレンジの前には、それに挑めるか、精一杯考えて、天秤にかけてみる。
そして、勇気を振り絞って前に進んだという経験、ありますよね。
でも、大概の人は、命を張ることまでは怖くてできないですけどね、世の中には、こんなことするんだという人もたくさんいますからね。
その物差しって、本当に様々です。
私なんかも自分の親や姉からよく言われます。
何度も飛行機に乗って、海外へ行って、挙句の果てはケガをして帰ってくる。
出かけなければ、辛い目にも会わないのにねって。
そう、チャレンジには危険がつきものですから。
改めて海外旅行という枠だけでも振り返ってみると、他人から見ればたいしたことではないけれど、私からすると多くのチャレンジをしてきたなあと思います。
夫から精神的に独立をして、はじめて中学生の子どもふたりを連れて2週間弱のオーランドへ行ったこと。
その後、アメリカで長距離ドライブを果たしたこと。
昨年のバイユーツアーも、ワニが居るということで子どもたちからは大反対を食らいましたが、結局は強行突破。
だって、これまでに事故が無かったことを確認しているから。
でも、子どもが反対しているのに連れ出して、もしものことがあったら、タイタンの少年のような思いをさせてしまっていましたがね。
そんな私でも、数年前の地中海クルーズは断念しました。
何度かこのブログにも書いたかもしれませんが、贅沢にもバトラー付きの部屋を確保して、予約金も払っていましたが、その後、寄港地チュニジア近辺でエボラ出血熱患者が出たというニュースが。
これで悩みました。
旅行会社は大丈夫だと言います。
でも、致死率50%と言われている感染症が流行り出した近くに行くことはできない。
そう決断して、泣く泣くキャセルしましたが、これには後日談がありました。
我が家がキャンセルした同じ船、おそらく1週間違いの出港でしたが、ISに襲われてしまったのです。
日本人観光客3人が銃弾の犠牲になりました。
このニュースを聞いた朝、愕然としたのを今でも覚えています。
今の時代、どこに居ても危険とは隣り合わせで、それを恐れていたら生活できなくなってしまいますが、それでも回避できるものは回避していくこと。
恐れながら、選択もしながら、そしてきっちりと楽しみながら。
生きている時間は限られていて、人生は一度しかないですから。
そうです、それならば。
人生自体、いつでも冒険っていうことになるのかもしれませんね。